songの最近のブログ記事



おいらのサイトは2万人くらいが毎日見ていると思うんだが、その中でも多分、3人くらいしか理解していただけないエントリです。まぁ、いつもの事なんだがw で、何かというと、バルナバス・フォン・ゲッツィです。
バルナバス・フォン・ゲッツィ(1887~1971)
ハンガリー生まれ。ヴァイオリンの巨匠イェネ・フバイに師事、25歳で、ブタペスト歌劇場管弦楽団コンサートマスターとしてでビュー。
ふとしたきっかけで軽音楽に転向、1924年ベルリンで小編成の楽団を結成する。エスプラナダ・ホテル専属として、ティタイムのサロン音楽や夕べのダンスプログラムに出演して、人気を博する。翌年からレコード録音も始め、ドイツを中心に欧州各地を巡演し、一流のダンスバンドとして名声を獲得していった。
フォンというから、フランス語では出汁の事だが、ドイツ語では「貴族」ですね。もともとちゃんとしたクラシックの大御所だったのが、ダンス音楽に転向。ストラディバリウスを引っ提げて、泣きのゲッツィ節で一世を風靡した。戦前の話です。早くに引退して、戦後は活動してない。なので、録音はすべてSP盤です。おいら、中学時代からハマって聞きまくっていた。基本的にはアルゼンチンタンゴが好きなんだが、コンチネンタル・タンゴでもゲッツィだけは別腹です。



エレベータ・ミュージック

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ブルースブラザーズというのは物凄く良く出来た映画で、脚本というか、選曲が素晴らしいんだが、おいらが感心したのはラスト近く、税金を払いに行ったブルース兄弟がエレベータに乗るところで、「イパネマの娘」が流れているんだが、それがボサノバとはいえ、完全に「エレベータ・ミュージック」的な演奏なんですね。エレベータ・ミュージックとは何か? 喫茶店やレストランなどでBGMとして流される音楽を英語圏ではそう呼ぶんだが、もちろん、エレベータの中でかかっているような音楽、という意味。まぁ、エレベータの中だけじゃない、あちこちで耳にするんだが、エレベータの中というのは暇なので、つい、印象に残るわけです。で、ここでイパネマの娘を代表とするボサノバとブルースの関係について書いてもいいんだが、ボサノバというのはカネとヒマを持て余したブラジル有閑階級のゆとり若者たちが、とか書いてもいいんだが、それはさておき、ここではエレベータ・ミュージックです。




柳ヶ瀬ブルース

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柳ヶ瀬ブルースが大ヒットしたのは1966年だそうだが、おいら、中学に入学したばかりといった頃合いか。まだ、フォークソングとかシンガーソングライターとかいう存在はなくて、せいぜいグループサウンズとか、加山雄三とか、そんな時代ですね。ところで、柳ヶ瀬ブルースがアダモの「ブルージーンと皮ジャンパー」という曲に似ているという人がいるんだが、実は、この時代というのは、アメリカから発祥した「ロック」の普及期にあたり、今でこそ「ロック」はロックであって、ブルースとは違っているんだが、出来た当座のロックというのは、ブルースとまだ分離が完全には済んでなくて、ゴッチャだった。その典型がプレスリーなんだが、「ハウンドドッグ」なんざ、元はドロドロの真っ黒けブルースなのが、白人が歌うと「ロック」になる。

イギリスでは、ジョン・メイオールなんてのがいたな。1965年には、ジョン・メイオールのやっていたブルースブレスカーズに、ヤードバーズを脱退したエリック・クラプトンが加入、ここらへんの白人ブルースは、シカゴブルースを小奇麗にしたような感じなんだが、ローリングストーンズもベースはブルースです。ビートルズは違う。ところが、日本人には、こうした真っ黒ブルースはなかなか理解されなかった。そもそもブルースは「ドレミファ」で出来てない。日本人は、和風のヨナ抜き音階と、普通のドレミファソラシドしか知らなかったので、ブルーノートを駆使する音階がよく判らない音楽というので、みんなエレキに夢中になりながらも、シカゴブルースを吸収するところまでは行かなかった。ゴールデンカップスがブルースばかりのアルバムを作っているんだが、今聞いてみると、なんか変です。ちゃんと理解してない。

アダモの「ブルージンと皮ジャンパー」というのは、そんな、シカゴブルースが世界に拡散して行く過程で生まれた曲だと思うんだが、アダモというのもよく判らない人で、イタリア生まれのベルギー人で、色んな国の言葉で歌っているんだが、まぁ、シャンソンなんだろう。「ブルージンと皮ジャンパー」というのは、かなりブルースっぽい曲です。アダモ自身の作曲です。たしかに柳ヶ瀬ブルースと似てないこともないが、宇佐英雄さんが亡くなってしまった今となっては、影響を受けたかどうか、知るすべはありません。で、柳ヶ瀬ブルース。



藤圭子、30年前のスキャンダル

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柳ヶ瀬ブルースの作者、宇佐英雄さんなんだが、晩年の収入は印税が年間1500万近く入って来ていたそうです。「印税の支払いは年三回、一回分が450万とか」と、そんな証言がある。もちろん、柳ヶ瀬ブルースが大きいんだが、「釧路の夜」というヒット曲もある。他にもカラオケには4曲くらい入っているらしい。



宇佐さんはそもそも楽譜が読めない、書けない人だったので、作品は多くない。生涯にレコード化された音源で、十数曲だろう。作曲だけ、という曲もあるようだ。

15日のライブ映像です。

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二時間ぶっ続けで唄いました。途中、煙草休憩5分はさんだだけ。今日もやります。今日のライブは午後6時からです。

DQN系ロックの神さま

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キャロル解散コンサートでの、矢沢永吉。クールスが咥えタバコで、押し寄せるファンの頭をボコボコ叩いてますw クールスというのは、バンドではない。モーターサイクルチームです。海外では、ローリング・ストーンズのコンサートをヘルズエンジェルスが仕切ったりしていたので、それを真似たらしい。クールスといえば、舘ひろしと岩城滉一だが、岩城滉一はバンドのクールスには参加してない。つうか、岩城滉一は在日だそうです。本名(李光一)。舘ひろしはバンドであるクールスのボーカルだった。こちらは由緒正しい士族の家柄で、実家は徳川家から拝領した「徳川家の離れ」だったという話がある。芸能人でも何でもないクールスだったが、キャロルの親衛隊として名前を売って、キャロル解散後は、ロックバンドとして活動する事になる。親衛隊時代から目立つのでけっこう人気があって、その人気に目をつけたキングレコード社員が、バンドを組むように説得したらしい。舘ひろしは、その後俳優として売れて脱退するんだが、残ったメンバーは今でも活動してます。音的には、キャロルが8ビートのブリティッシュ・ロック風だったのに対して、こちらは4ビートのアメリカンロックンロールであって、より、シャナナに近い。

やさしい悪魔

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キャンディーズの「やさしい悪魔」というのは、意外にプロがカバーしてなくて、吉田拓郎の名曲なんだが、素人は結構、カバーしてますね。こんなん出て来たんだが、韓流らしい。韓流にしちゃ、217111回という再生回数は少なくないかい? 2012年9月5日発売なので、TVとか出てもいい頃なんだが、おいら、まだ一度も見てません。ツノダンスというらしい。つうか、プイサクです。なんか妙に馬面だし。

熊本の溜め息

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演歌歌手の八代亜紀がJAZZのアルバムを出したというので話題になっているんだが、まぁ、八代亜紀を知らない人もいないと思うんだが、こないだTVに出ていて、2ちゃんねるでは「声が出てない、八代亜紀ももう駄目だ」とか言ってる阿呆がいたけど、この人、昔からずっと、この声ですからw

トラック運転手や漁師、スナックのママといったコア演歌ファンを中心に圧倒的な支持を誇る超大物歌手。火の国こと熊本県出身。
71年に「愛は死んでも」にてデビュー。73年の「なみだ恋」が大ヒットを記録し、一躍人気歌手へ。その後は「しのび恋」(74年)、「舟唄」(79年)、「雨の慕情」(80年)など、国民的名曲を多く世に残した。彼女の歌の魅力は、楽曲自体の秀逸さもさることながら、あの絶妙なサジ加減で震える... Amazonの八代亜紀ストアで詳しく見る


ブルースを聞こう

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さて、プルースを聞こう。つうか、今日のテーマは、いかにして白人がブルースを盗んでロックというカネになる商売を作り上げたか、なんだが。で、まずはビッグママ・ソントーンからです。ハウンドドッグからブルースハープ合戦へ。



錚々たるメンバーを従えて巨大なオバチャンが威張ってますw 確かにビッグママだ。ハウンドドッグは彼女の持ち歌で、プレスリーはカバーです。



1952年の録音。すっげぇ、カッコイイ。太鼓もいいね。コレを盗んだのがプレスリーです。この当時、黒人音楽は黒人しか聞かなかったので、盗んでも誰も気がつかなかった。まぁ、「盗作」というわけじゃない、ちゃんとカネは払っているんだろうが、初めて黒人音楽を耳にする白人たちには、こういうのが物凄く新鮮に見えたわけです。

むかし、横浜球場の裏手にデリカとか称したレストランがあった。地下に降りる階段の壁には、歴代大リーガーの名選手の写真が飾られ、色気の抜けきらない口達者なオバチャンが出迎えてくれる。出てくる食事は、米軍のレーションじみたテイストレスなアメリカの飯で、奥で調理しているのは白人の爺さん。あとで知ったのだが、その爺さん、元大リーガーの野球選手で、来日した時に、このオバチャンに捕まって、以来、日本に定住するようになったらしい。それでも野球が忘れられずに、横浜球場の裏で店をやっていたというわけです。おいら、その店で、藤竜也が女子大生を口説いてるのを目撃した事がある。その頃の藤竜也は、日本初の本番ハードコア俳優として有名だったなw そして、その藤竜也が「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」を作詞したのも、その頃です。



帆船ライブ

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ゲストのパーカッション付きです。入りのタイミングが絶妙w


ミスター・ブルースマン

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この曲を作った作曲家というのは、今、三島の芙蓉台に住んでいるらしい。作曲が先で、歌詞があとから付けられているんだが、素晴らしいバラードが出来た、どんな歌詞が付くんだろうと楽しみにしていたら、いきなり関西弁でビックリした、と、作曲家が語っていたw 上田正樹は関西では既にブルースシンガーとしてそこそこ名が売れていたんだが、メジャーではこれ一曲だけですね。ブルースやってる人というのは、こういう普通の歌を歌わせても、どこか違う。上手いです。カッコイイです。弾き語りでやると、微妙にややこしいコード進行が続いて草臥れます。





むかし、FM東京で片岡義男と安田南のDJがあって、そこで知ったアーティストなんだが、初期のシカゴ・ブルースの大御所です。スライド・ギターの帝王と呼ばれている。つうか、この冒頭からケタタマシク掻き鳴らされるフレーズ一発、という感じなんだが、今でも色んな人にカバーされてますね。ZZTopも演ってます。この、エルモア・ジェイムズとか、次に出るサニー・ボーイ・ウィリアムスンIIなどが、若くして亡くなったロバート・ジョンソンと同世代で、共演していたらしい。ブルースマンとしては、エレキギター使ったのは早かったのかね。この人の動画は、探したけど見つからない。存在しないのかも知れないです。

時代のディーバ、安田南

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プカプカという名曲、知っている人も多いだろう。歌っていた西岡恭蔵さんは1999年に亡くなってます。この曲に出てくる女のモデルが「安田南」だというのはよく知られていて、そもそもこの曲の別名が「みなみの不演不唱(ぶるうす)」というんだが、若かった西岡恭蔵は既にバリバリの売り出し中だった安田南に鼻先であしらわれたらしいw さて、そんな安田南とは何者だったのか?

ロカビリーの誕生

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ロックは、この一曲から始まった、とよく言われるんだが、ロック・アラウンド・ザ・クロックです。ビル・ヘイリーと彼のコメッツというんだが、この人はもともとカントリー畑ですね。白人のカントリーが、黒人リズムを取り入れて、コレで安心して白人娘が熱狂できる音楽が誕生する。



昭和のムード歌謡

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「ムード歌謡」というジャンルがあるんだが、演歌とはちょっと違う。どこが違うのかというと、そもそも成り立ちが違うわけです。ムード歌謡のルーツは酒場です。むかしは人件費が安かったので、あちこちの酒場に生バンドが入っていた。そんな中にも流行があって、戦後は、ハワイアンとかラテンとか流行ったんだが、基本的には飲み屋のバンドというのは客の求めに応じて何でも演ります。そうしたミュージシャンは器用なので、作曲もしたり、バックコーラスも演ったり、自己完結。ところが、TVの歌番組に出演すると、そもそもフルメンバーの上手なバンドが伴奏してくれるわけだ。で、元はそれぞれ楽器を持って演奏していたバンドが、手ぶらで出演しなきゃいけなくなる。そうしたバンドでは、今と違ってボーカルが偉いわけじゃない、ボーカルはゲストみたいなもんで、本来のメンバーではなかったりもする。クールファイブも、元は「内山田洋とクールファイブ」だったわけです。





宇多田ヒカル13歳

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この曲は、藤圭子のものとしては割と最後の時期のものなんだが、1996年です。驚くのは、バックで自由自在にアドリブっぽいコーラスをやってるのが、まだ小学生だった宇多田ヒカルだという事。どこに、小学生の素人娘にバックコーラスやらせるプロデューサーがいるんだw さすが親馬鹿w 実は、その2年ほど前から、宇多田ヒカルは夏休みにはニューヨークのレコーディング・スタジオで、両親とともにcubic Uの名義で録音に励んでいた。まわりはバリバリの黒人アーティストばかりです。

ジャパニーズ演歌ドリーム

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ジャパニーズ演歌ドリームという話です。
ぴんからトリオは、3人組のお笑いだった。自費で300枚レコードをプレスしたら飲み屋から有線で火が点いて、2年間売れ続けて最終的に400万枚売れた。日本で売れたレコードで、「およげ!たいやきくん」に次いで二番目だ。そういうジャパニーズ演歌ドリームが、あのころはあったんだな。
Twitterでいしかわじゅん氏がそう書いていたんだが、さすがにおいらの2年先輩なので、古い話をよく知ってますw 

演芸場などでよくあるんだが、「ボーイズ」という芸があり、何人かで楽器を持って出てきて、にぎやかに歌ったり、しゃべったりするわけです。ぴんからトリオは、そのボーイズ芸人だった。Wikipediaによると、

本名は宮崎芳郎。兵庫県加西市広原町生まれ。

姫路市のキャバレーで働きながら1959年、自主制作で「男の花道」を発売。

1961年、拠点を大阪に移し、当時流行していたボーイズ形態の音曲漫才(メンバーが何かしらの楽器を演奏しながらその時期の流行歌の替え歌を交えて進行する演芸の一種で、大阪では浪曲師、東京ではバンドマンからの移行が多かったが、その後、大阪からは廃れてしまった演芸形態)スパローボーイズを結成。

1963年、宮五郎(宮史郎の兄、1936年4月29日 - 1994年8月12日)・並木ひろし(1942年2月14日 - 1998年11月13日)と共に音曲漫才ぴんからトリオを結成。グループ名の由来は「ピンからトリを」からである。

1972年、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き325万枚を売り上げ、続いて発売された「女のねがい」「女のゆめ」もミリオンセラーの大ヒット。
日本で一番売れたのは「およげ!たいやきくん」なんだが、この曲は二番目です。まさに、ジャパニーズ演歌ドリームそのもので、宮史郎の最初の自主制作レコードが1959年なので、それから数えても13年かかっている。まぁ、アレだ、諦めない事が、成功への唯一の途です。



武士の本業というのは何かというと、「槍」だそうです。刀でも鉄砲でもない。その証拠に、「槍一筋」とは言うけれど、「刀一筋」とは言わない。まぁ、普通の人はそんな事は知りませんね。三波春夫は知っていた。偉いです。色んな意味で、あの方は日本の民俗学にも造形の深い人で、タダの面白い芸能人ではない。物凄い読書家だったらしい。その、三波春夫の最高傑作と言われるのが、この「元禄名槍譜・俵星玄蕃」だ。紅白でもやっていて、「雪を蹴立てて、サク、サク、サクサクサクサク」という名フレーズは耳に残っている。

作詞は北村桃児(三波自身のペンネーム)。作曲は長津義司。
「忠臣蔵」(元禄赤穂事件)にからんだ架空の人物である俵星玄蕃[1]を主人公とした曲。「歌謡曲(演歌)」「浪曲」「講談」の3つが織り込まれており、それぞれに通じた三波の、芸の集大成のような構成となっている。
三波自身は振りをつけて演じている。また現在でも、日本舞踊の題材として用いられることがある。
先述通り、多様な素養を必要とする曲で、歌詞も長大であるため、歌いこなすには相応のレベルが求められる。現在は演歌歌手の島津亜矢が得意としており、テレビ番組などで披露している。
俵星玄蕃というのは、講釈師が創作した人物で、実在はしてないらしい。作詞は三波春夫本人です。



祝! 美輪明宏、紅白出場!

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紅白歌合戦に、なんと美輪明宏が初出場というので驚きなんだが、この人、今では怪しい説教を垂れ流す元祖オカマみたいな感じで、スピリチュアルとか、アレなんだが、元は歌手です。

上京し高校へ進学、しかし家業が倒産し中退、翌1952年、17歳になった美輪は新宿駅で寝泊りしていたが銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』との専属契約が叶い歌手デビュー。国籍・年齢・性別不詳として売り出す。 次第に人気を博し、三島由紀夫、吉行淳之介、野坂昭如、大江健三郎、中原淳一、遠藤周作、寺山修司、なかにし礼らの支持を得る。

1957年、 フランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーし、大ヒットとなる。元禄時代の小姓の衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツなどを身に纏いユニセックスファッション[3]と、「天上界の美」と三島由紀夫が絶賛した美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)。同じ1957年製作の映画『暖流』(増村保造監督。大映)に歌手で出演しており、カラー映像で当時の美輪の流麗な姿を見ることができる。

『メケメケ』以来のブームは1年程で沈静化。その間に週刊誌で自身が同性愛者であることを公表したことや、旧来のシャンソンのイメージ(美輪曰く 蝶よ花よ、星よ月よに終始する「おシャンソン」)に無い、自ら訳した生々しい内容のシャンソンを歌ったことに対する反発もあり人気は急落する。
丸山遊郭でカフェをやっていた家で育ったんだが、歌手を目指して上京。実家が倒産したためにホームレス生活を送った事もある。さすがにおいらも、この人のデビュー当時は知りませんw なんせ、77歳、デビューから60年です。紅白に77歳で初出場というのは、最高齢記録だそうです。デビュー60年での初出場も史上最長記録だそうです。この人の歌はねぇ、もう、次元が違うとしか言いようがない。で、まずはデビュー作のメケメケ。

歌が流行ることの歓び

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浜口庫之助という人がいた。作詞家であり、作曲家でもある。また、もっと古くはミュージシャンでもあって、1953年から1955年まで、3年連続で「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」として紅白歌合戦に連続出場しているので、ずいぶん売れていたわけです。それまでにも、戦前からダンスホールの音楽家として活躍したり、ジャワ島で原住民の子供に日本の歌を教えたり、戦後は進駐軍相手に演奏したり、と、色々苦労もあったようだが、1959年、作詞・作曲家に転向して、この曲がヒット、頭角をあらわす。



ゴールデン・ハーフがカバーしていたよね。半世紀も前にしてはエロい歌詞で、子供が学校で歌うのが問題になったりしたらしいw ただし、この曲に関しては作曲だけです。歌詞は浜口庫之助ではない。星野哲郎だ。また、この年にはもうひとつのヒット曲が生まれている。



Amazonリンクのこのアルバムは、自作曲を自分で歌ったもの。

日本のセルジュ・ゲンズブール!
ハマクラの全編ヴォーカル入りの貴重なアルバム!!

数々のヒット曲を生み出した、昭和を代表する作曲家「ハマクラ」こと浜口庫之助が、全編に渡り味のあるヴォーカルを披露した貴重なアルバム!
4夕陽が泣いている5バラが咲いた7夜霧よ今夜も有難うetc.
誰もが一度は耳にしたことがあるであろう名曲を自らが歌った自作自演集!
2雨のピエロ6粋な別れ9月のエレジー11甘い夢などはシュールな「歌謡ボッサ」の決定版!
カラフルなジャケットも素晴らしい。
ゲンズブールって、「夢見るシャンソン人形」を作った人です。

バタやんです。まだ生きてます。

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田端義夫です。まだ生きてます。93歳です。

大正8年(1919年)三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。その間に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒していく(板切れで作った音の出ないギターを"イター"と呼んでいたそうだ)。

昭和13年(1938年)、ポリドールレコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝する。
19歳でデビューしているんだが、それまでに転々とした職が17。煎餅焼く手に涙が落ちる、と平岡正明が書いていたな。小学校中退です。この時代は、小学校しか出てない人がいっぱいいた。おいらの親父も、小学校出ただけです。頭が良くても貧乏で進学できない人は、たいてい「書生」になるんだが、おいらの親父は、西武の堤康次郎のところの書生だった。田端義夫は、ポリドール社長の書生になって、そこからデビューのチャンスを掴む。デビュー作は「島の船唄」。さらに、「大利根月夜」「別れ船」と、次々にヒットを飛ばす。これ、戦前の話です。70年以上前です。



ところで、こういう活躍した期間が長い歌手というのは、同じ曲を何度も吹き込んでいる事が多いんだが、レコード会社さん、最初の吹き込みを集めたベスト盤作って下さいよ。

股旅演歌

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股旅物と呼ばれるジャンルについて。まずは、定番の田端義夫です。この人の出世作なんだが、10代での吹き込みと比べると、戦後の方がビブラートが効いて歌が上手くなってますねw 戦前の吹き込みはあまりビブラート効かせずストレートで、東海林太郎とか、そんな系統だ。



正確に言うと、「大利根月夜」が「股旅物」なのかは微妙なところがあるんだが、まぁ、主人公の平手造酒が武士から持ち崩し、流れ流れてヤクザの用心棒に身をやつしているという時点で、まぁ、似たようなもんだ。ちなみに「大利根月夜」の元ネタになっているのは、天保水滸伝という講談です。

マドロス演歌

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マドロス物について。おいらの見立てでは、マドロス物というのは股旅物から派生した存在ではないか?と思うんだが、流れ者で、いつか消えて行くという存在感の在り方は勿論なんだが、違うところもある。股旅物が、背後に「運命」を背負っていて重く暗いのに対して、マドロス物は明るく軽い。何故そうなのかは後で書く。で、マドロス物といえば美空ひばりです。



美空ひばりは横浜の生まれで、港の景色が似合う。大ヒットした「港町十三番地」もマドロス物だ。子供の頃から映画に出ているんだが、この時代には「歌謡映画」というのが無数に作られていて、彼女はスクリーンを通じて日本中の人気者になった。

小林旭の無意識過剰世界

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小林旭というと「無意識過剰」ですw ナニも考えてないw 全盛期の日活では、裕次郎に次ぐビッグネームで、物凄い量の主演作品を撮っている。また、歌手としてもヒット曲がたくさんある。熱海にマリーナ持ってますね。事業も色々と展開したらしいがたいていうまく行かなくて、借金まみれになりながらも、キャバレーまわって歌で返済したという、そういう人です。で、今日はそんな小林旭のヒット曲から、ある特定の「傾向」を持ったナンバーを集めてみた。



いまだにカバーするミュージシャンが絶えないという名曲ですw これ、作曲したのが叶弦大。清水町の住人です。おいら、一度だけいっしょに飲んだ事がある。小林旭の「お抱え作曲家」みたいな存在で、他の人の作曲でもこの人が編曲という例もある。この曲は詰まらない事情で放送禁止になった事があり、そのために学生運動家の間では「反体制ソング」として人気だった。

名曲に歴史あり、アマポーラ

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初出/2012年2月27日 02:32



「ワンスアポンアタイムinアメリカ」という映画があるんだが、言うまでもない、セルジオ・レオーネ監督の遺作にして最高傑作なんだが、
アメリカ公開時には批評家たちから酷評された。不評の原因は一般観衆に受け入れられやすくするために製作会社が物語の時系列を整理し映画の上映時間を大幅に短縮、更にモリコーネの楽曲までカットしたためである(ただし、日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開され高い評価を得る)。作品に関わった人々は口々に「製作会社がフィルムを切り刻んだ」と言い、レオーネ自身も深く落胆するが、自身の編集によって3時間49分の完全版を作り上げ、再びアメリカで公開する。すると、それまでの不評が打って変わってギャング映画の傑作として捉えられ、レオーネの評価を更に高める結果となった。
レオーネは、黒澤明の「用心棒」にインスパイアされて「荒野の用心棒」を作ってマカロニ・ウエスタンの立役者となるんだが、その後、アメリカに渡ってワンスアポンアタイムシリーズ三部作を作るのだが、ハリウッドからは高い評価は得られず、この人、アメリカで賞を貰った事は一度もないです。でも、ハリウッドのインチキ編集版ではなく完全版が公開された日本では大ヒットした。で、この映画の中で効果的に使われていたのが「アマポーラ」です。


刑務所の中で流行った曲

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刑務所の中でのリクエストで一位になった曲というのを、おいら、ふたつ知ってます。そのふたつの曲について。

初出/ (2012年2月11日 19:19)


初出/2012年2月27日 00:10



「チョットだけよ、アンタも好きねぇ」という曲の話です。今さら説明するまでもない、ドリフターズ加藤茶の持ちネタなんだが、ところでドリフターズというのはもともと自分たちで楽器を持って演奏するバンドで、所属するナベプロというのは、こういうバンドをたくさん抱えていて、キャバレーの仕事やら進駐軍の仕事やら、色々とやっていたわけです。おいらがしょっちゅう紅茶を飲みに行く喫茶店のマスターも、その末端に所属していて、かつては新宿の大箱キャバレーの専属だった。もっとも、ドリフターズやクレイジーキャッツ以外はコントなんかやりません。普通にキャバレーなどで有名歌手のバックやったり、ダンス音楽やったり。

北朝鮮は微妙な親日国家

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初出/2012/2/15



北朝鮮というのは、微妙に親日国家なんだが、そんな北朝鮮で歌い継がれている日本の歌謡曲ですw 実は、ずいぶん昔から日本の歌謡曲というのは極東アジア一帯で聞かれていて、それもあちらの歌手がカバーしているんだが、もちろん海賊版なので著作権料なんか払っていません。最近は、中国、韓国はちゃんと払うようになったんだろうか。まぁ、北朝鮮が相変わらずなのは間違いないだろうがw

忘れていいの~愛の幕切れ~

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いきなりアフィでセクハラみたいな画像で申し訳ないんだが、「忘れていいの~愛の幕切れ~」という歌について。まずは、欧陽菲菲です。この人、もともと台湾で人気のあった歌手なんだが、日本に来てもずいぶん活躍した。今でも台湾では大歌手で、日本の歌謡曲をたくさんカバーしてます。この曲もその一つ。元はデュエットなんだが、アレンジして一人で歌っている。



おいら、この曲が大好きで、前からずっと練習しているんだが、途中で変調してハイポジションになるところが面倒くさくて、なかなか上達しませんね。元はデュエット曲で、谷村新司が小川知子のブラジャーに手を突っ込みながらとてもイヤらしい顔して唄っていて、おいら、TVで見て腰抜かした覚えがある。とんでもないセクハラ親父です。さて、これは欧陽菲菲のバージョンです。中国語です。なかなか難しい歌なんだが、さすがに上手です。


何年か前に書いた記事なんだが、リンク先のYoutubeがみんな削除されていて、リンク張替えです。おいらの好きな昭和の歌謡曲について。つうか、ここで紹介しているナンバーはみんな、おいらのレパートリーに入ってます。桜の咲く頃になったら、オフ会とおいらのジャイアン・リサイタルやりたいですね。



チェンジワルツ

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プレスリーの「Are You Lonesome Tonight」なんだが、何もプレスリーの話をしようというのではない、
チェンジ・ワルツという話なんだが、チェンジ・ワルツという曲があるわけじゃないです。ワルツならなんでも「チェンジ・ワルツ」になりうるわけで、要するに生のバンドが演奏を交代する時に、ワルツを演奏するわけですね。

美輪明宏の特集です

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これもずいぶん昔に書いた記事。ネットゲリラでは何年も前から、美輪明宏をプッシュしていた。この人、紅白でヨイトマケ一発やっただけで日本中を仰天させたんだが、そうなって当たり前だ、というのが、この記事を読めば判る。







70年代から東京のアンダー・グラウンド・シーンの第一人者として活躍する、知る人ぞ知るアーティスト・浅川マキの唯一ともいえる映像作品。本作は、ジャズに徹底した内容で、ジャズ界の大御所たちとの豪華な共演を果たした84年の伝説のライブを収める。

1984年6月30日に池袋の文芸座、9月29、30日に京都大学西部講堂にて行われた浅川マキのライブを映像商品化。

2010年に亡くなっているんだが、浅川マキという歌手がおりまして、言うまでもない、アングラの女王と呼ばれた大歌手です。1967年、若くして「東京挽歌」という演歌でメジャーデビューするんだが、音楽的な方向性の違いでレコード会社と揉め、その後は隠遁。1969年になって改めて寺山修司に見出され、「夜が明けたら」「かもめ」で世に出る。ちなみに「東京挽歌」もYoutubeにありますね。はっきり言って、新宿ブルースのパクリみたいな曲です。この時代、アングラという言葉が囁かれるようになり、消費財として作られ、消費される「流行歌」だけではない世界が始まっていた。浅川マキは、そのハシリです。浅川マキの名前は21世紀に入ってからはほとんど聞かなかったんだが、当人が極度のCD嫌いで、古いアナログ盤は廃盤になり、CDはほとんど出ないので、世の中から忘れられようとしていた。そんな中、2010年に心不全で死去。ネットゲリラで掲載した追悼特集には大きな反響がありました。以後、再録とコメント欄の抜粋です。



マンボ流儀のエロダンス

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マンボという音楽について。昔、大流行したんだが、「マンボズボン」なんてモノまであった。まずはトニー谷。伝説のエンターテイナーです。この人、物凄い人気だったんだが、とっとと引退してハワイで暮らしていた。これは、カネを使い果たしてリバイバルした時の映像らしい。キレのある、リズム感の優れた人ですね。つうか、昔のコメディアンというのは、誰でもこれくらいの「芸」は持っていた。





ゴンタの夜

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以前、「ストラディ掲げてゲッツィの泣き節タンゴ」というエントリをあげた事があるんだが、バルナバス・フォン・ゲッツィというのは戦前にものすごく人気のあったダンスバンドのリーダーです。ドイツの貴族で、25歳で、ブタペスト歌劇場管弦楽団コンサートマスターになったというから、クラシック界でも超一流だった。その時代でもストラディ持ってるコンマスといったら、並大抵のもんじゃない。それがダンスバンドに転身というので、大人気だった。もっとも、引退が早かったので、戦後は活動してないようです。ダンスバンドなので何でも演奏するんだが、特に「コンチネンタル・タンゴ」が有名です。



アルバムは廃盤でとんでもないプレミア価格が付いてますね。輸入盤探した方が良さそうだ。


お鼻の赤い神さまについて

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角川映画の主題歌たちについて語りたい。で、角川春樹という人物なんだが、Wikipedia見てるだけで面白いw

早稲田大学第二文学部史学専修に受験し合格したが、國學院大學理事の地位にある父の懇願で國學院大學文学部に進学。在学中は拳闘部に所属してボクシングに熱中。

大学3年の時には、渋谷ハチ公前で全学連相手200人に一人大立ち回りを演じ、新聞沙汰になったこともある。「俺の魂はスサノオノミコト」だと主張。毎日、祝詞とお経をあげ、「私は絶対だ。私は完全だ。私は神なのだ。」と唱えている。結婚歴は6回、離婚歴は5回である。

1964年:國學院大學文学部卒業。角川書店の跡取りと悟られぬよう母の旧姓で取次の栗田書店と創文社に入り、半年ずつ修業。かたわら新宿3丁目でスナック「キャッツアイ」を経営し、昼はサラリーマン、夜はバーテンという二重生活を送る。

尿道結石で入院中の手塚治虫の手を握って治し、それへの感謝として『火の鳥(太陽編)』を角川書店が発行の『野性時代』で連載させ角川で作品を文庫化させている。

武田信玄、天武天皇、神武天皇、ヤマトタケルの生まれ変わりを自認しており、チンギス・ハーンだけは他人に指摘されて気付き、その記憶だけは無いという。
角川映画は春樹のワンマンで作られているので、良くも悪くも独断です。でなきゃ、14歳の薬師丸ひろ子や、あまりパッとしない地味顔の原田知世がヒロインになったりしない。主題歌もそうで、この人でなければ世に出なかった名曲がいっぱいある。



初出/2008-06-05

ダイビングダックブルース

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初出/2008-06-20
スリーピー・ジョン・エスティススリーピー・ジョン・エスティス
価格:¥ 2,541(税込)
発売日:1997-04-23

日本には意外にブルース好きが多いんだが、そのきっかけになったのが、この人だ。スリーピー・ジョン・エスティス。アメリカの伝説のブルースマンなんだが、戦前に多くのレコーディングを残しながら、その後、消息不明になる。ビッグ・ビル・ブルーンジーが「エステスは生きていれば87才くらいになっている」と発言したので、(実際には55才くらいだった)死亡説が信じられていたのだ。黒人の年齢というのは、黒人から見ても、よく判らないモノらしい。ところがアメリカ人には物好きが多くて、自らの音楽的ルーツを探し歩いている若者がいたわけです。で、1962年、日本ではジャニーズ事務所が創設され、ザ・ピーナッツが「ふりむかないで」を歌い、飯田久彦が「ルイジアナ・ママ」を歌い、アメリカではロックンロールがサーフィン・サウンドに進化したり、イギリスではリバプール・サウンドが始まったり、そんな時代に逆行して、失われた古いブルースマンを探し歩いていた一人が、スリーピーを探し当てる。貧困の末に盲目となった老人は、電気も水も通っていない粗末な掘建て小屋に住み、若い奥さんと5人の子供を抱え極貧状態だったという。

忘れ去られた時間の外で男は何もかも奪われていた。日々を過ごす金も、少しばかりの誇りも、愛も、視力も全て奪われていた。。。男の手からは手に馴染んだギターさえも失われていた
ある日閉ざされていた時間の重い扉は開かれた。彼の行方を捜していた一人の男がボロボロになったこの老人を探り当てた。
何もかも失ったかつてのブルーズ・マンにその男は車に積み込んであったギターをそっと手渡してみる。老人はその感触を確かめながら自分の中にかつてありまだ失われてないものの在り処を探していた
漆黒の暗闇の中で小さな灯りを頼りに落し物を探すように。。。
老人は男に1本の鉛筆となにか紐を貸してくれと頼む。ギターのペグを弄りながらか細い音で失くした音階を手繰り寄せる。。。


李香蘭とテレサ・テン

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中国歌謡について語りたい。歌というのは、どういうカタチで聞かれるか、というのが大事だと思うんだが、中国歌謡については、これはもう、酒を飲みながら、耳元で、熱い吐息がかかるような距離で、ナヨナヨしたオネーチャンから直接、耳に「吹き込んで」貰うに限る。36歳で引退する前の李香蘭でもいいし、若き日のテレサ・テンでもいい。この二人、声の質はずいぶん違う。ソプラノとアルト。でも、どっちも中国スタイルです。どちらも、戦争に翻弄された中国史の中で、不思議な地位を占めてます。どちらも、おいら大好きです。

初出/2009-04-16

「やさしい悪魔」で20分

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去年の沼津港BARでやったライブです。キャンディーズの「やさしい悪魔」で20分w 途中、リードギターの電源を担当していた発電機がガソリン切れで止まってしまい、20分しか出来なかった。次に演る時には30分を狙います。

河内音頭とモーラムシン

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河内音頭とモーラムシンという話題で、まぁ、どっちもマイナーの極地みたいな話で恐縮なんだが、今じゃネットの世の中で、おまけにようつべは何見ても無料だというので、たまにはこういうのも悪くないんじゃないかな。で、河内音頭といえばこの人、河内家菊水丸です。




以下、初出/2008-03-29

コメント欄で教えて貰ったんだが、桜川唯丸という人がいるわけだ。江州音頭の音頭取りだというんだが、そもそも音頭取りなんてのは「一年を三日で暮らすいい男」という言葉があって、逆に言えば一年間に三日しか仕事がないわけだ。河内音頭の音頭取りで河内屋菊水丸という人がいるんだが、ロッキード事件の頃から、大事件が起きるとマスコミ呼んで現場で河内音頭やって騒いだりしてたんだが、アレは暇だからやっているんで、盆踊りの季節になると1日のうちに10ステージくらい掛け持ちで稼ぎまくるらしい。なんかねぇ、日本の重要な演芸なんだが、こればかりは知らない人が多いんだけどね。おいらも関西人ではないので、ナマで見た事はない。で、コレなんだが。



初出/2009-04-15

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昔は、馬賊とか、大陸浪人とか、いたわけです。モーゼルとか持ってるのね。有名どころでは満蒙独立運動に参画して戦後、戦犯として処刑された、華族の子である伊達順之助なんぞが、小説「夕日と拳銃」のモデルになってるんだが、馬賊が何故、モーゼルを使うのか、とか、馬賊風モーゼルの横遣いとか、そういう話も面白いんだが、今日、お話するのは
男装の麗人です。なんか凄いね。男装の麗人。男装の麗人というと、すぐに思い浮かぶのが「宝塚」なんだが、最近では秋葉原にも男装の麗人とアキバデートできる男装エスコート店「ギャルソンと一緒」なんてのもあったりするらしいが、この言葉の元になった人物が、東洋のマタハリとも呼ばれた有名なスパイ、
川島芳子です。

愛新覚羅 王女の悲劇―川島芳子の謎 愛新覚羅 王女の悲劇―川島芳子の謎
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2009-01-31


川島芳子とは何者か? と、その前に川島浪速という人について語らなきゃならないわけだが、川島浪速というのは松本藩出身の大陸浪人で、満蒙独立運動家です。芳子というのは、その養子です。

失われし時を求めて

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初出/2008-06-03

「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」です。昭和歌謡です。今回は、もはやナマでは聞けない歌の数々を。死んだヤツもいれば、前科者になったヤツもいれば、自分から第一線を退いた奴もいる。生々流転です。南無。



荒木一郎という人がいるわけだ。「空に星があるように」「愛しのマックス」「今夜は踊ろう」の三曲くらいしかヒットはないんだが、それでも昭和歌謡の「天才」と呼ばれている。ところが、今ではほとんど表に出て来ない。これには理由があって、とある事件が原因で彼は仕事を干されたわけだ。


sayonara-chotomattekudasai

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「SAYONARA」という映画があるんだが、日本人が出演してアカデミー賞まで貰った映画なのに、日本ではほとんど知られてない。何故かというと国辱映画だからで、日本でも公開されているんだが、あまり評判にならなかった。今は便利な時代で、それがネットで無料で全編見られます。



まぁ、長いので、見なくていいや。



1911年4月10日、アメリカN.Y.州生まれ。ピアニスト/コンポーザー/アレンジャー/コンダクター......と多彩な顔をもつマーティン・デニーは、世界中のアーティストに多大な影響を及ぼした偉大なるアーティストである。
若かりし頃からクラシカル・ピアノを学び、1954年にハワイに移住するまで実にさまざまなバンドのツアーに積極的に参加し活躍した。また、彼がホノルルの"Shell Bar"というナイトクラブで演奏をしていた際、その場で聞こえてきたカエルや鳥の鳴き声を即興でプレイに取り込んだ――という話はあまりにも有名。そして、そのエピソード以上にスゴいのは彼が駆使する楽器類である。――デニーはオリジナルな楽器を縦横無尽に用いて、ラテン/ハワイアン調のエキゾチックで実に優雅なサウンドを完成させることに成功。それはまたたくまにアンテナ感度の高いリスナーたちを魅了し、1959年にはアルバム『Exotica』でUSチャート1位を獲得するに至ったのだ。アルバムの代表曲ともいえる「Quiet Village」は、1951年に盟友レス・バクスターが作曲したものだが、この名曲もシングル・チャートのトップ5に堂々君臨したのだった。
戦後、アメリカが日本に与えた影響というのは色々と語り尽くされた感もあるんだが、逆に、日本がアメリカにどう見られていたのか? というのは、あまり話題になりませんね。

YMOのネタ元はコレ

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イエロー・マジック・オーケストラというのがあったわけです。おいらの若い頃には物凄い人気で、とにかく「新しい」わけです。テクノ全盛期で、世の中、これからはコンピュータだと、時代の象徴だった。そのPVで、ファイヤークラッカーという曲です。ファイヤークラッカーというのは爆竹の事ですね。

その日細野が2人を自宅に招き、3人はこたつを囲んだ状態で、焼きおにぎりを食べながら("おかかおにぎり"や"みかん"という説もある)会合を行った。細野が新たなグループのコンセプトを彼らに伝えたところ2人は賛同、ここで初めて"YMO"が結成される。このとき細野は2人に「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」という自身のメモが書かれたノートを見せている。
YMOは、結成当初から、この曲を看板にする予定でスタートしているわけだ。もっとも、この曲は「マーティン・デニーの」と書かれているように、YMOのオリジナルではない。では、マーティン・デニーとは何者なのか?

癒しの熱帯楽団again

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さて、マーティン・デニーの二回目ですw いやぁ、癒しの熱帯楽団ですね。一曲目は。代表作の「クワイエット・ビレッジ」。この曲で彼は全米トップに登りつめ、熱帯の曲といえばコレが定番になった。今でも盛んに演奏されてます。歌詞も付いたらしい。それにしても、鳥の声も含めてわずか5人で演ってるとは思えない、音の充実ぶりです。

サルビアの花とジャックス

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この時代、騒々しかった70年安保の余波も収まり、反体制の象徴だったフォークも変質を遂げようとしていた。はっきり言って、ラジオから流れる「フォーク」が、軟弱な歌ばかりになって行ったのだ。で、記憶にあるのが「サルビアの花」と「夕暮れどきはさびしそう」ですね。この二曲はそれこそ毎日のようにラシオから流れていた。NSPについては今回は置いといて、「サルビアの花」です。



ヤマハ・ポプコンの足跡を辿ってみると、1970年代から80年代にかけて日本のポップスシーンを引っ張ってきたことがこのCDを聴いていますと良くわかります。名曲揃いですね。
特に思い出に残る曲は、もとまろが歌う「サルビアの花」ですね。
もとまろの歌唱はとても哀愁があり、泣きそうなくらいに切ない歌詞を淡々と歌います。フォーク全盛時代の曲ですが、そのメッセージ性が当時の若者には受け入れられたわけです。大学紛争を経ても何も変らなかった1970年前半の社会の閉塞情勢とも関係があると思います。
あれから30年以上経ちました。「サルビアの花」を覚えている人も少なくなりました。
ただ、青春時代特有の甘酸っぱい思い出を彷彿とするようなこの曲は「エヴァー・グリーン」の輝きを今も放っています。



初出/2008-11-24/2013-2-9加筆


東京アウトローズさんちで、「太郎さんの味方ですよ」というので、世の中には字が読めなくても偉業を成し遂げた人がいるので、麻生太郎ちゃんも頑張ってね、という話をしているんだが、他でもない、ビリー・ホリデイです。彼女は字が読めないので漫画雑誌ばかり見ていたというんだが、楽譜も読めなかったらしい。
「楽譜なんて、あんなの音楽がわからないヤツが必要とするアンチョコみたいなもんじゃない。あたしには耳があるわ。歌を聴く心があるわ」
いやぁ、痺れるセリフだねぇ。ジャズマンと娼婦のあいだに生まれた彼女は、幼くして感化院を卒業して売春婦となり、やがてジャズに出会って歌いはじめる。まだ幼さの残る少女娼婦の歌に、ハーレムの非合法ナイトクラブの客たちは涙したという。以下、エリノラというのが彼女です。

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初出/2008-11-14



 ギターがぶっ壊れるよというくらいうねるスライド、壊れたボーカル、ドライブ感いっぱいのバックと、いやあ本当にすごい。吼えるブルースあり、ブギあり、もうこれじゃあハード・ロックだよという曲ありです。CDのプレイボタンをプッシュすると同時に凄まじいパフォーマンスが始まります。
 CD1には1951年から1953年の、CD2には 1954年から 1957年録音の楽曲が収められています。wild about you、Dust My Broom などエルモアの代表曲はほぼ網羅されています。音質も最高。怪しい針プチだらけの廉価レーベルのCDではありません。解説はほとんど無いに等しいですが、不要でしょう。この圧倒的な音の前には。
 ロックを聴いてる人には一番とっつきやすいブルースかも。いや、全音楽ファン必携!


あの時君は若かった

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グループサウンズについて。おいらが中学生くらいの時が全盛期だったのかな。そのちょっと前にビートルズとかベンチャーズがやたら流行った時期があって、コピーバンドが日本中に出来た。小学生が講堂の掃除を命じられると、必ず箒を抱えて真似したもんだ。「ビートルズとベンチャーズと、どっちがギター上手か」なんていう不毛な議論を熱っぽく語ったりw そんな中から、和製エレキバンドとしてのグループサウンズが始まった。で、代表格がこのザ・タイガースですね。



テレサテンと三木たかし

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初出/2009-05-12



作曲家の三木たかしが亡くなった。まぁ、作曲家というのは一般的には馴染みがない人種なんだが、三木たかしという名前には覚えがあるわけだ。他でもない、テレサテンの名曲の数々を作った人で、ヒット曲で言えば「空港」以外はみんなそうだね。で、上の映像はテレサテンの墓の前でテレサに捧げる歌をやっている三木たかしです。作曲家が歌っているところというのはあまり見られない景色なんだが、シミジミして良いものです。



台湾出身の演歌歌手、そしてアジアン・ポップスのパイオニア、テレサ・テン。日本/中国/台湾/東南アジア......と民族・国家の枠を越え、膨大な人々から愛されつづける大スターである。不慮の死を遂げた95年以降も圧倒的な人気を博す。その艶やかでいて柔らか、時に母性すら感じる歌唱は珠玉の極みと言えよう。
幼少の頃より、歌手として活動。台湾で十分なキャリアを積み74年に来日、同年「今夜かしら明日かしら」にてデビューを飾る。そして2ndシングル「空港」がスマッシュ・ヒットを記録。これを機に日本における地盤を確固たるものにしていく。その後も地道な活動をつづけ着実に支持層を拡大していったテレサ、84年には「つぐない」がビッグ・セールスをあげ、大物歌手の仲間入りを果たす。以降、「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」と全アジア的ナンバーを次々と輩出していった。



テレサ・テン生存説

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初出/2009-04-16

李香蘭とテレサテンというエントリを横に開いて、二人の色っぽい中国歌謡を聴きながら読んでいただきたいんだが、続きです。

李香蘭とテレサテンと、二人が歌っている曲というのは幾つもあるんだが、李香蘭がオリジナルで、テレサテンがカバーと、そう簡単なモノではないです。「夜來香」はそうらしいが、「何日君再来」は、中国人歌手が唄ったのをリスペクトしてカバーしたとかコンサートで発言しているし、もっとも、テレサテンは日本語でも歌ってるわけで、だとすると当然、李香蘭は聴いてるわけですね。つうか、テレサテンはローティーンでデビューしているので、李香蘭と活動時期は重なってないんだが、当然、その存在は知っていた筈だ。

で、テレサテンなんだが、おいら、
テレサテン死んだフリ説というのを昔から唱えているんだが、誰も相手してくれません。ロリポップの過去ログも消えてしまったので、再録しておきます。今回、川島芳子の生存説が浮上した事で、ますますおいらの確信は高まったんだが、川島芳子が身替わりを立て逃亡したというのは中華圏では当時からよく知られていた話であって、李香蘭のカバー曲を歌っているテレサテンもよく知っていたと思われる。国家権力の圧倒的な暴力の前には、時として、死んだフリをするのも処世の知恵というモノなのかも知れないですね。

歌伝説 テレサ・テンの世界~アジアが生んだ歌姫~ [DVD] 歌伝説 テレサ・テンの世界~アジアが生んだ歌姫~ [DVD]
価格:¥ 4,515(税込)
発売日:2006-03-29





おいら何故か、伊藤つかさのファーストアルバムを持っているんだが、もちろんLP時代で、ジャケットが大きくて立派なので、中身は一度聞いたきりだが、ジャケットはずっと飾っていたw ジャケットはこの写真です。







今日からロードショーだそうで、シュガーマンという映画の話なんだが、この映画、ドキュメンタリーです。1970年に発売された曲が、アメリカでは全くヒットしなかったのにも関わらず、遠く、南アフリカの地で、海賊放送で流れたのがきっかけでアパルトヘイト闘争のテーマソングとなって大ヒット。100万枚の海賊版が売れたというんだが、この映画は、南アフリカのレコード屋店主が、レコードを吹き込んだロドリゲスという歌手を探し歩く話です。





やっと、デトロイトで吹き込まれたというのを突き止め、アメリカまで渡って探すのだが、レコード会社でも既に消息不明。「ステージでガソリンかぶって焼身自殺した」とか「ピストルで自殺した」とか、そんな噂しか残ってない。パック牛乳のパッケージに広告載せて探したり、インターネットの時代になるとネットで呼び掛ける。そんなある日、彼の店に一本の電話が掛かって来た。

「友だちから聞いたんだけど。あなたが探しているロドリゲスって、ワタシの父です」

なんで下着姿で歌っているのか

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トライアングルというのはおいらの記憶には薄いんだが、「キャンディーズの妹分」だそうで、そう言われてみればこの曲もキャンディーズっぽい。なんで下着姿で歌っているのか不明なんだが、生々しくて正視できない太腿ですw この時代、ビデオデッキも普及してなかったし、そもそもAVなんかなかったし、こういうの、最高のズリネタだったw でも、1曲の中で終わらせなきゃならないので、早漏になって候w

田端義夫死す

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田端義夫が死んだらしい。日本一のブルースマンだった。しばらく前から活動は停止していたので、そろそろお迎えが近いのかなぁとは思っていたんだが、まぁ、年が年なので仕方ないです。というわけで、つい半年前に掲載したエントリを再録します。初出2012/12/6



田端義夫です。まだ生きてます。93歳です。

大正8年(1919年)三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。その間に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒していく(板切れで作った音の出ないギターを"イター"と呼んでいたそうだ)。

昭和13年(1938年)、ポリドールレコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝する。
19歳でデビューしているんだが、それまでに転々とした職が17。煎餅焼く手に涙が落ちる、と平岡正明が書いていたな。小学校中退です。この時代は、小学校しか出てない人がいっぱいいた。おいらの親父も、小学校出ただけです。頭が良くても貧乏で進学できない人は、たいてい「書生」になるんだが、おいらの親父は、西武の堤康次郎のところの書生だった。田端義夫は、ポリドール社長の書生になって、そこからデビューのチャンスを掴む。デビュー作は「島の船唄」。さらに、「大利根月夜」「別れ船」と、次々にヒットを飛ばす。これ、戦前の話です。70年以上前です。



ところで、こういう活躍した期間が長い歌手というのは、同じ曲を何度も吹き込んでいる事が多いんだが、レコード会社さん、最初の吹き込みを集めたベスト盤作って下さいよ。

新型ソーラン踊りについて

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伊藤多喜雄という人がいるんだが、ロックのリズムに乗せて民謡を唄うという人で、マスコミに登場するようになったのは1980年代に入ってからです。Wikipediaを見ると、経歴が出てます。

1950年(昭和25年)、北海道苫小牧市に漁師を営む両親の12人兄弟の末っ子として生まれる。
幼少期から父親が歌う追分と津軽出身の母親が歌う津軽民謡に親しみ[1]、その声は地元でも評判となる。苫小牧市立凌雲中学校卒業後の1966年、16歳で民謡歌手を志望して上京。
18歳でNHK民謡オーディションに合格し、一躍「民謡界のホープ」として将来を嘱望されるようになる。
NHKのオーディションというのは厳しいので有名で、なんせ、幼き日の美空ひばりも落ちた事がある。笠置シズ子の真似してブギウギを歌ったんだが、「子供の癖に上手すぎる」という理由で落とされたw ガッカリして廊下に出ると、掃除のオバチャンが走り寄って来て、涙を浮かべながら「良かったよぉ、がっかりしないで頑張ってね」と励ましてくれたというんだが、少なくともNHKに出て歌を歌っている人は、この厳しいオーディションを通っているのは間違いない。

さくらまや確変w

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最近よくやってるCMなんだが、ちょっと太めのネーチャンが、消臭力のミゲルくんと踊りながら歌っているヤツ、誰かと思ったら、なんと、「さくらまや」でしたw さくらまやと言えば、言うまでもない、お子さま演歌歌手として有名で、ちゃんとドサまわりまでやってますね。下の映像は戸田港祭りだが、戸田の港祭りといえば、沼津のネオピンクとか、そういうレベルの祭りなんだがw

ネットゲリラの夏祭り・ライブ編

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ライブにも大勢来ていただいて、まことに有難うございます。おいらはちっとも上達しないんだが、パーカッションとは音が合ってきて、いい感じです。こんな感じでゆる~く演ってます。呼んでくれればスケジュールが合う限り、どこでも行きます。呼んで下さいw


ルサンチマンのアイコン

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ルサンチマンという言葉があるんだが、まぁ、アレだ、あまり前向きではない、妬み、恨みなどのネガティブでマイナスな感情を示す言葉です。

ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある[要出典]。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が利用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられて、一般的に使われるようになった。
ポピュラー音楽におけるルサンチマンというと、「お母さんに感謝」とか唄うラップ小僧とか、「まっすぐな道を歩いて逝こうよ」とか唄うシャブ中とかには、あまり見られない。ヤクザに食い物にされて自己破産寸前まで追い詰められたり、薬物中毒で廃人寸前まで追い詰められたり、彼らの「人生」にはふんだんに見られるかも知れんけどw 歌そのものはポジティブで前向きですw 



覚えているかい? 高校んとき、歌番に初めて出演した藤圭子のこと
明るく華やかなステージの中で、ひとり極端に場違いに暗かったこと
作家五木寛之が 「本当の演歌」の星 と絶賛していたこと
同級の女の子が
「若いのにずいぶん退廃的な歌を歌うのね」って非難してたっけ
でも、退廃的で暗い歌が すごくカッコよかったんだ
50歳代に突入してくたびれてきたけれど
再び藤圭子の歌声を聴くと
こんどはカッコいいって思うだけでなく
「かわいい」って思うし、なにより元気が出てくるんだ
また恋をしたくなるし、そんときは不倫になるわけだから
藤圭子の歌っていよいよ身近になるんだよね

WINDBLOW2013

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相良に来てます。WINDBLOWというイベントです。海岸の海水浴場で行われる、サーファーたちのレゲエとかのお祭りで、果たして演歌歌手、八代亜紀がどう受け入れられるのか、そこに興味があって、せっかくなので、「ネットメディア」の取材という事でPASS貰って、やって来ました。冒頭の動画は、草笛リズムマシーンという集団で楽器を作っているんだが、そのミンミンという楽器です。会場裏でお囃子の太鼓に合わせて弾いてました。



レゲエとかハスキーとかそういった印象のことが書いてあり、泥臭いイメージがあったのだが、実際聴いてみるとすごく艶っぽい声だし、すごく洗練されてる。スローな曲はきれいだし、アップテンポな曲はこれまたカッコいい。

草笛リズムマシーンの奇跡

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さて、わざわざ相良までやって来たのは、コレを見たかったからで、草笛リズムマシーンという集団です。授産所に通っている知的障害者を中心にしたバンドだ。率いているラッコ三嶋さんは、いつもおいらのライブで伴奏してくれているので、このサイトの読者にはお馴染みなんだが、元はプロのドラマーで、シアターブルックというバンドで活躍した人。他にベース、ミンミンなどで健常者のスタッフも協力している。



ドラムサークルでジェンベ(ずっとジャンベと呼んでいましたが、正式にはジェンベなんですってね!このDVDで初めてしりました!)に興味をわき、ギニア産の楽器を手に入れましたが、叩き方がよくわからなかったので、このDVDを購入してみました。
ペッカーさんとラティールさん(日本語うまいっすね!)の掛け合いが漫才みたいでで面白く、また言葉と手元を映してゆっくり叩いてくれるので、とてもわかりやすいです。ギターとジャンベで今風の曲を演奏してもサマになるのでビックリ!

あ、これ、いいじゃん

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これが、WINDBLOW 2013で草笛リズムマシンが見せた「奇跡」です。2日間に渡るフェスなので、芝生でくつろいで見ていた観客たちが、続々と降りて来る。そして、身体を揺らし、踊りはじめる。観客席にいた人の話では、

正直、はじめのうちは「あぁ、知恵遅れの人たちのバンドね」と冷ややかだった観客が、やがて、「あ、これ、いいじゃん」とか言い始めて、しまいには自分も降りて行った。
そうです。ところでYoutubeには「草笛リズムマシン」の動画というのが一本もなかったんだが、リーダーのラッコさんの考えでは、まだ、出す時期じゃない、と思っていたのかも知れないが、ここまで来れば、もう立派なもんです。どんどん世に出るべきだ。おいら、勝手にそう判断して、動画をあげさせて貰った。紅白出て下さい。つうか、マスコミの皆さん、チャンスです。まだ、大手マスコミはどこも取り上げてない。ナマでこのバンドを見た、相良のわずかな観客しか、この凄さを知らない。おいら、会場に2日間もいたので、障害者の人とも話をしたんだが、みんな、本当に太鼓が大好き、お囃子が大好きです。言われて叩いているんじゃない、好きで叩いている。そんな気持ちが、音を聞けば伝わって来る。ぜひ、みんなでプッシュして、紅白に出場させよう! そして、日本中に、あの決めゼリフ、「紅白に出たら、『お母さん、僕を生んでくれてありがとう』と言うんだ」という、アレを実現しよう!

夢は夜ひらく

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藤圭子の代表作というと、「新宿の女」か、この「夢は夜ひらく」だろう。ただし、「夢は夜ひらく」は藤圭子がオリジナルではなく、1966年に競作になって、緑川アコと園まりのレコードが、それぞれヒットしている。藤圭子のレコードは1970年なので、焼き直しです。ところが、この焼き直しが日本の歌謡曲史においては、大きな意味を持っている。藤圭子に関してはルサンチマンのアイコンという文章を書いたので、そっちも読んでいただけると有難いです。





新宿(じゅく)での啖呵も颯爽と、女だてらに仁義をきる。とびっきりハクイずべ公どもが、魅せて!聞かせて!暴れます!「ずべ公番長」シリーズ第1弾!!
生まれは横浜、育ちは鑑別所。北は北海道、南は九州まで、女だてらに全国を練り歩き、付いた通り名は「ハマグレおリカ」。ノーブラ、シースルールックにジーンズも颯爽と、新宿を根城にして暴力団相手に派手なアクションを繰り広げる。人気爆発!藤圭子(宇多田ヒカルの母親)が唄う「圭子の夢は夜ひらく」の主題歌をバックに大信田礼子、宮園純子、橘ますみ、賀川雪絵、夏純子ら東映若手女優が一堂に集まって色気とパンチとアクション満開で競う「ずべ公番長」シリーズ第1弾!




Youtubeにあげた「草笛リズムマシン」の動画が、一日で3000を突破、その後もアクセス数は伸び続けて、三日目の今日では4000を越えてます。「涙が出てきた」「海外のJAZZフェスに出したい」など、TwitterやFacebookでも評判。動画も、最初は座って見ていた観客が、次々に立ち上がり、降りてくるのが、なんとも現場の雰囲気を写していると褒められました。



我々の世代の要望によくぞ応えてくれました!っ的なリズムボックス。ほんとに簡単にすぐ使えます、説明書も要らないくらい(笑)。リズムパターンは30種類入っていますが、自分にはこれで十分。60、70年代のフォークをせっせと唄っています。カウントやオカズが予めはいっているところもうれしいし、フットペダルでスタートストップできるのもいいです!小さいサイズながら音量も結構出るし、ドラムの音質(?)もキンキンしてなくて、ノッて演奏してしまいます(笑)。今度LIVEで使おうと思っています。あっ、ACアダプターは必須のようです。40代以上の年齢層(私は50代ですが)の方には使いやすいんじゃないでしょうか。「50、60喜んで!」ってどっかで聞いたフレーズですが、まさにその通り、オヤジのリズムボックスかな!?

草笛リズムマシン始動!

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以前、おいらがコッソリ撮って紹介した草笛リズムマシンが、本格的に始動です。こないだのWINDBLOWの映像も公式に発表されました。同じシーンなんだが、ステージ真下で撮っているので迫力あります。現場の熱気が伝わって来ます。



「紅白に出て、お母さんに産んでくれてありがとうって言いたい」
「友達たくさんつくりたい」
「いろいろなところに行きたい」
「震災で困った人のところに演奏しにいきたい」
「僕たちだって働きたい」
そんな夢を叶えるための『一般社団法人はいねのもり』が贈る究極のアーティスト『草笛リズムマシン』
彼らに「何か感じた」方、どうか末永く応援ください。

そんな、草笛リズムマシン、東京での初公演が決定! 定員100人だが、「日本再生音楽祭 民衆の音楽家集まれ!世界を元気にする音楽」というのに出るようです。10月19日です。業界の方、今のうちに駆けつけて、コネクション作っておくといいですよ。既に海外の音楽祭からも引き合いが来ている。まぁ、予算とかあるので実現はまだ遠いが。いずれ、彼らは絶対にメジャーになる。

人を殺したら、人生はオシマイ

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克美しげるが亡くなったらしい。この人の名前は必ず「人殺し」という形容付きで語られるんだが、売れなくなった時代に銀座のホステスに貢がせ、ソープ嬢までやらせて、それがカムバックに邪魔だというので殺したわけです。ところで、人殺しの芸能人というのは他にもいる。押尾学は記憶に新しいが、古いところでは「毛利郁子」という人がいます。大映の人気女優だったが、妻子ある男性の子を産み、さらに女性関係で揉めて刺殺、出所後は不明です。まぁ、人を殺したら、まともな社会生活には戻れませんね。克美しげるも、とうとう本格的な復帰は叶わなかった。



ハウツーでなくワットイズの人殺し書。
ストイックなまでに淡々と書き連ねられた叙述には
恐怖やグロさは感じないがただひたすらに人間が「物体」であることを再認識させられる。
一通りの殺害方法や凶器、劇薬、有名な事件について過不足無く触れているのは素晴らしい。
発刊されたのが2007年ということで取り扱っている情報がまだ新鮮なのもこの本の良い点だと思う。
人体の有り得ない様態ばかりが写された本をお探しの方の腹を満たすには不十分の内容だが、
「殺人」をある一つの事象としてまとめた本としては充分。
本文の下部にコラムが設けられていたり、画像や追記で本文の補充がなされていたりと
読んでいて安心できる構成であるのも良い。
「沖縄で天才少女出現!」の続きです。

演歌の世界には、特に女性歌手なんだが、「うなり」という技法がある。都はるみとか、あと、坂本冬美の「夜桜お七」にも入ってますね。誰も指摘してないかも知れないが、アレは演歌で生まれた技法というわけじゃない、ルーツはアメリカのリズムアンドブルースだと思う。エッタ・ジェイムズという歌手がおりまして、こないだ74歳で亡くなったんだが、デビューは16歳です。

エタ・ジェイムズ (Etta James, 1938年1月25日 - 2012年1月20日) は、米国のブルース、R&Bシンガー。出生時の名前は、ジェイムセッタ・ホーキンズ。60年代から70年代にかけてチェス・レコードに在籍し、"Tell Mama"など多くのヒットを生んだ。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第22位[1]。



このアルバムのなにが凄いって言ったら、そりゃあバンドのワイルドさもデヴィッド・Tの彼らしからぬ狂い弾きも、もちろんエタの凶暴具合も凄いんですが、オーディエンスの熱狂具合が凄いんですよ。
ハコ全体が一体となった強引なグルーヴ感!
これぞリズム&ブルースのライヴの醍醐味ざんす。

ちなみに、このアルバムのジャケ、エタの手首に包帯が巻いてあるんですが私個人的には、恐らく人を殴った際に手首を痛めたものだと踏んでおります。

さて、この曲、分かりますか?

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タイ海軍の応援歌だそうです。何やら勇ましい感じなんだが、よく聞いてみると、アレレ、どっかで聞いたような・・・。 まぁ、タイの海軍といえば、実戦経験もほとんどないし、あまりに陰が薄くて知られてないんだが、コレでもベトナム戦争の時には、ベトナムから逃げ出したボートピプルを海上で撃ち殺して始末したり、クーデターが起きると、チャオプラヤ川をモーターボートで行ったり来たり、忙しい。それなりですw で、東南アジアでは「軍歌」というのもパクリが多い。有名なところでは、ミャンマー国軍が日本の軍艦マーチを行進曲に使っていたりします。で、タイ海軍の軍歌のネタ元は、というと、コレです。


そんな事よりストーブだ。いつ起こるか判らない大地震に備えて、電気がなくても使えるストーブと、あとは非常用の飲料水は欠かせないですね。



◆広いスペースをまるごと暖房。◆遠赤外線炎筒とホワイトフレームが身体をしんから温めます。◆地震や衝撃を受けた時は自動消火「対震自動消火装置」◆カラー点火つまみ / ■ 仕 様 ■暖房の目安... ・木造:17畳(28.0m2)まで ・コンクリート:23畳(38.0m2)まで種類:しん式・対流型暖房出力:6.59kW燃料消費量:0.640L/時本体寸法:幅460×奥行460×高さ598mm本体質量:11.2kg燃焼継続時間(強~弱):10.9時間給油タンク容量:7.0L(タンク一体式) / ※[乾電池別売] 単1形/2個使用(アルカリ乾電池の使用を推奨します。)

一般家庭には強力過ぎる。小さな工場とかで使うタイプです。ウチにもある。吹き抜けの玄関ホールとか、28畳のスタジオとか暖めるのに使ってます。大昔からあるモデルなので、値段は安い。安すぎるw



深い緑と反射板(笠)のシルバーが本物のランタンの様でとても気に入っています。
対流型は、部屋全体を暖めてくれるので、顔が火照るなんてこともありません。
当方は6畳で使用していますが、調節つまみで火を弱くしてもかなり暖まります。
この50%調節できるというのは本当に重宝しますね。
部屋の電気を消すと、まさにキャンプファイアーの様な雰囲気になります。
やかんを載せていますが、火を弱めに調整して約30分くらいで沸騰します。
床に座るとレインボーカラーが綺麗に見えますが、椅子に座っているので笠がじゃまをして、そこまでは見えません。
それでもこのデザインで正解だったと思います。

こちらは、一般家庭で使いやすいサイズです。新型なので、ちょっと値段は高い。同じような型でも、傘のないヤツだとずいぶん安い。



レトロなデザインが愛らしく、また一方向だけではなく、
360°まんべんなく暖めてくれる所が素晴らしいです。
さらに優しく揺らぐ炎が美しく、間接照明の変わりにもなります。
ストープ上面でお湯を湧かす事もできるので、総合的なパフォーマンスが高い製品だと思います。

こういう形のストーブがひとつあると、煮物に便利です。また、停電でも使えるので、非常用にもいい。暖房はオール電化にしてしまうと、大震災でも起きたら震えて眠らなきゃならない。ファンヒーターは灯油と電気と両方ないと動かないので、不安ヒーターです。
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