ピー屋設置要項と中曽根主計長

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いわゆる「従軍慰安婦」なんだが、色々と調べてみると、現場の指揮官がもっと上のお偉いさんに頼んで、慰安所を作ってもらってるわけだ。おいらが読んだエロ告白系の文章にもそんな記述があったんだが、ほっとくと外に出て強姦事件を起こしたり、安い売春婦を買って性病だらけになったりするので、そうした軍隊内部の秩序維持のために、軍が「慰安所」を設置、業者に頼んでオンナを連れて来させた、という事だ。業者が勝手に軍隊のそばで店を開いたわけじゃない。ところで、そうした軍隊の補給関係をやっていたのは「主計局」というところで、食料を仕入れたり、給料の計算をしたりする。戦闘には基本的には参加しない。裏方です。おいらの母方の先祖は主計局の将校だった。三島には軍隊があったので、毎朝、兵隊さんが馬を牽いてお迎えに来ていたらしい。現場の指揮官がもっと上に頼んで慰安所を作ってもらうとすると、この主計局が窓口になる。慰安所を作って運営するには、カネがかかる。で、中曽根元総理が海軍主計中尉だったというのは良く知られているんだが、実際、回顧録『終りなき海軍』の中で、「自分が慰安所を作った」と、得意げに書いてます。コレが国際的な問題になって、2007年3月23日、日本外国特派員協会の記者会見で、「碁を打つなど、休息所の目的で設置した」と釈明、慰安婦なんか知らないよ、とシラバックレたわけだが、それを覆す文書が発見された、という話題だ。

文書の出元は防衛省だ。海軍航空基地第2設営班資料という物で、第二設営班の徴用技師・宮地米三・元工営長が防衛省戦史編纂官の依頼で1962年に複製し、同省が保管している文書だそうだ。ここに、以下の記述がある。

ボルネオ島バリクパパン322基地の整備が一応終了すると、日本を出港する時に「二ヶ月」という約束だったために工員の気が荒くなって、日本人同士のけんか等が起きた。そこで、「主計長の取計(とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設、気持ちの緩和に非常に効果ありたり」
1942年の3月11日の事だそうで。ここに出てくる「主計長」というのは、言うまでもない、中曽根の事だ。見取り図もあるので、「碁会所」なんかじゃないのは明確だ。碁会所に土人女は要らないしw ちなみに陸軍経理学校では、慰安所開設の授業があったそうで、

「その時(慰安所の開設時)に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの〝待ち時間〟が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分...といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要項」というんで、これも経理学校で教わった」(『いま明かす戦後秘史』)
まぁ、こういう事があるので、自民党としても慰安婦問題については強きに出ないw 出られないw 適当に謝って、お茶を濁そうと思っている。「強制」という言葉の意味も、あちらさんとこちらさんで違う。日本軍が銃を突きつけてそこら辺歩いている土人女を連れて来たりはしないが、カネで買ってくるくらいの事はしている。19世紀に既に人身売買を禁止していた欧米の基準からすれば、それから半世紀も経って、まだ人身売買やってるなんざ、「強制」以外のナニモノでもない。というわけで、「アジアの開放」という美名の裏で、土人女をカネで売買していたという話になってしまうのは間違いないので、慰安婦問題はあまりこちらから騒ぎ立てない方がいい。わざわざ火を付けに行くハシゲやアベッチがどんだけ馬鹿か、ジープに乗せられてインドに売られたとか、世迷い事を並べる認知症のババアなんかほっとけばいいのだ。

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