新型ソーラン踊りについて

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伊藤多喜雄という人がいるんだが、ロックのリズムに乗せて民謡を唄うという人で、マスコミに登場するようになったのは1980年代に入ってからです。Wikipediaを見ると、経歴が出てます。

1950年(昭和25年)、北海道苫小牧市に漁師を営む両親の12人兄弟の末っ子として生まれる。
幼少期から父親が歌う追分と津軽出身の母親が歌う津軽民謡に親しみ[1]、その声は地元でも評判となる。苫小牧市立凌雲中学校卒業後の1966年、16歳で民謡歌手を志望して上京。
18歳でNHK民謡オーディションに合格し、一躍「民謡界のホープ」として将来を嘱望されるようになる。
NHKのオーディションというのは厳しいので有名で、なんせ、幼き日の美空ひばりも落ちた事がある。笠置シズ子の真似してブギウギを歌ったんだが、「子供の癖に上手すぎる」という理由で落とされたw ガッカリして廊下に出ると、掃除のオバチャンが走り寄って来て、涙を浮かべながら「良かったよぉ、がっかりしないで頑張ってね」と励ましてくれたというんだが、少なくともNHKに出て歌を歌っている人は、この厳しいオーディションを通っているのは間違いない。

ところが、伊藤多喜雄は自らのスタイルを模索し、悩んで、メジャーデビューの約束を捨て、海外を放浪する事になる。海外でも、あちこちのライブハウスなどに出演、日系人だけでなく、外国人にも自分の民謡が通用したのに自信を深め、帰国して自分のバンドを結成、西洋音楽のバックバンドで民謡を唄うというスタイルでデビューする。その時には、既に10年余を経過し、多喜雄は32歳になっていた。



さて、話は変わって、一世風靡セピアです。今で言えばエクザイルみたいなもんか? パフォーマンス集団です。元は、ディスコで知り合った仲間で、歩行者天国で踊っていたんだが、そこからメジャーデビュー。ところが、デビュー媒体というのが、「ポスター」だというので、わけわかんないw まぁ、「男らしいカッコ良さ」だけを徹底的に追求した連中で、歌も踊りも、自己流と言えば自己流です。1984年にデビューして、1989年には解散しているので、活動期間は短かい。メンバーの中には哀川翔や柳葉敏郎がいた。ここではステージで演っているが、元は路上のパフォーマーで、背広に和のテイストというのが新鮮だった。いま見てもカッコイイね。エクザイルは爆転しないもんw



話は変わるんだが、稚内の南中学です。

1984年(昭和59年)をピークに稚内南中学校は約3年間、授業崩壊、校内暴力やいじめ、生徒の犯罪が頻発するといった状況下にあった。[2] 学校再生の土台ができあがった1985年に第1回文化活動発表会が開催、事態が収束した翌年の文化活動発表会にて「沖揚げ音頭(にしん沖揚げ音頭から<ソーラン節>)」を郷土芸能部の生徒が演舞した。[2] 正調のソーラン節は、漁業が基幹産業である稚内市の親や地域住民に好評であったが、リズムもテンポも歌詞も古臭いから、という理由で生徒には不評であった。[1]
1991年(平成3年)にテレビコマーシャルでロック調にアレンジされたソーラン節を耳にした教員が「これは子どもに間違いなく受ける」と直感した。その曲は伊藤多喜雄の「TAKiOのソーラン節」であった。[1][2]

冒頭の、伊藤多喜雄がここで出て来る。そして、伊藤多喜雄のロック調ソーラン節に振り付けするにあたって、一世風靡セピアのビデオを参考にしたというんだが、なので、この手のソーラン節の踊りが「一世風靡セピアに似ている」というのも当たり前ですw この学校では1991年から伊藤多喜雄のソーラン節を踊っているんだが、全国大会で評判になるなどの経緯を経て、荒れた学校の再生とソーラン節というのが、注目され、金八先生に使われる事になる。





金八先生というのは、説明するまでもなく、国民的な人気を誇ったドラマで、視聴率も高かった。そこでストーリーに組み込まれる形で紹介されたので、南中ソーラン踊りと、伊藤多喜雄の唄は、一気に全国区になる。札幌のよさこいソーランが人気になるというのも相まって、日本中に、この新型ソーラン踊りが広まるわけです。特に、最近では小学校や中学校の運動会でも定番となり、元気が良くて勇壮で、今までの日本民謡になかったタイプなので、やっぱり、伊藤多喜雄と一世風靡セピアは偉かった、としか言いようがないw



伊藤多喜雄は、今でも田舎の小さなお祭りにまで出向いて、地元のダンサーズと共演しまくってますw 紅白に二度も出た大歌手なんだけどね。ちなみに伊藤多喜雄の力量の程は、こちらのビデオを見ると判ります。18歳での挫折と、その後の10年を超える海外放浪が、今のソーランブームを作った。それをひと言で説明すると、「集団的無意識の意識化」作業ではないかと思うんだが、まぁ、今のところ日本の民謡界では唯一無二の存在です。



オマケ。伊藤多喜雄の娘さんだそうです。「めぐ留」さんというらしい。この人もなかなかです。日本の伝統音楽というのはリズムが単調で、現代で主流になっている黒人音楽のシャッフルとか裏拍とかが皆無、「だから面白くないね」と、和太鼓の演奏を眺めながらジャンベ奏者のラティールさんがおいらに言っていたんだが、伊藤親娘は黒人音楽的な、複雑なリズムにちゃんと合わせて唄える。ちなみに、前のエントリの野田中ソーラン節も、伊藤多喜雄です。東日本大震災の支援で炊き出しに行った時の映像です。

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野次馬さん、GJ!!!

思い出した。ザ・ハングマンのエンディングがこの手のやつだった
KAJAの有難や節
零心会のズンドコ節
火野正平のだまって俺についてこい
ナイスな選曲にヤンキーの心を鷲掴みのビジュアル
この頃のドラマは最後まで手抜きがないね

http://www.nicozon.net/watch/sm9381198

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