ビリー・ホリデイより他に神はなし

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初出/2008-11-24/2013-2-9加筆


東京アウトローズさんちで、「太郎さんの味方ですよ」というので、世の中には字が読めなくても偉業を成し遂げた人がいるので、麻生太郎ちゃんも頑張ってね、という話をしているんだが、他でもない、ビリー・ホリデイです。彼女は字が読めないので漫画雑誌ばかり見ていたというんだが、楽譜も読めなかったらしい。
「楽譜なんて、あんなの音楽がわからないヤツが必要とするアンチョコみたいなもんじゃない。あたしには耳があるわ。歌を聴く心があるわ」
いやぁ、痺れるセリフだねぇ。ジャズマンと娼婦のあいだに生まれた彼女は、幼くして感化院を卒業して売春婦となり、やがてジャズに出会って歌いはじめる。まだ幼さの残る少女娼婦の歌に、ハーレムの非合法ナイトクラブの客たちは涙したという。以下、エリノラというのが彼女です。

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数年後、母セイディはエリノラを再び手元に引き取った。だが彼女は相変わらず外泊が多く、そんなある夜、エリノラは近所の男に強姦されてしまう。イギリスの音楽ジャーナリストが著した『ビリー・ホリディ』によると、それは1926年、クリスマス・イブのことだった。朝、当時の恋人と一緒にセイディが家に戻ると、11歳のエリノラ(彼女の自伝には10歳だったと記載)が男とベッドの中に居たのだ。エリノラはすぐに医師の診察を受け、男は有罪になったものの、親の保護と養育が充分ではないと判断されたエリノラは、1925年に補導されたときと同様、カトリックの修道女が運営する施設「よきヒツジ飼いの家」に再送致される。1927年2月まで生活した修道院は、13~18歳の黒人少女が集められた更生施設だと謳っていたが、内情は虐待や暴行が日常茶飯事のように行われ、しかも事実上の感化院であった。

1928年、セイディは娘を取り戻し、ニューヨークへと移り住む。娘を売春宿に預けて再び売春を始めるが、1929年には母と共にエリノラまでが売春の容疑で逮捕、留置されたいう記録が存在する。

やがてビリーは、禁酒法時代のハーレムの真ん中で、非合法のナイトクラブに出入りするようになった。大量のアルコールと朝まで響きわたるジャズ。無一文で、住むところも追い立てられる状況の中、地元のクラブで「Body & Soul (身も心も)」を唄うビリーに、観客は皆、涙したと伝えられる。様々なクラブで仕事をするようになったホリデイは、ハーレムの有名なジャズクラブ「ポッズ&ジェリーズ」でも唄い始めた。この頃、エリノラの父クラレンス・ホリデイはフレッチャー・ヘンダーソン楽団で演奏しており、彼女は父親との再会を果たしていた。
Wikipediaです。読んで貰えば判るんだが、メチャクチャな人生です。若くして歌手になり、美人だったので映画にも出たし、ずいぶん有名なジャズマンといっぱい共演してるんだが、一生、麻薬と悪いヒモにつきまとわれてボロボロの人生だった。で、まずは代表作のひとつ、Fine and Mellowをようつべで。



有名な、レスター・ヤングとの共演。これでビリー・ホリデイは名を挙げるのだが、その後、レスター・ヤングは1959年に亡くなる。その頃にはビリー・ホリデイも身体が弱り切っていたのだが、葬儀に参列する。

1959年3月15日、ビリーはレスター・ヤングの訃報を耳にする。埋葬のとき、レスターの妻はビリーが唄うことを拒絶、嘆きと悲しみにビリーは泣き崩れる。葬儀からの帰路でビリーはこう呟いたと伝えられる...『あいつら、唄わせてくれなかった。この次はあたしの番だわ』。



もちろん、ビリー・ホリデイにも若い時代はある。ルイ・アームストロングとの共演。若い頃の彼女は美人だったので、ずいぶん映画にも出ている。健康な頃の彼女は、声にも艶があって瑞々しいです。



こちらは晩年。彼女は1959年に亡くなっているので、ステレオでのレコーディングは2枚しかない。コレは「Lady in Satin」から。



必ず [ボロボロの] という形容詞が付く。
そんな形容詞は無用。
歌心と命の輝きこそ感じ取るべきもの。
ありがとう Lady!

バックの演奏がとても美しいです。ライナーノーツによると、演奏者たちは心から演奏したということです。
彼女の初期の録音を少しでも聴いてみれば、なめらかで美しかった彼女の声がどんなに変化したかがすぐにわかります。そんな彼女の歌声をやさしく包み込むバックの演奏が非常に印象的です。ビリーの歌う歌詞が心にしみこむラブ・ソングです。
衰える身体と闘いながら、必死に歌にしがみつく「レディ」の魂の叫びです。ちなみに、彼女は「白人オーケストラと仕事をした初の黒人」だそうで。白人と黒人が共演するというのは、ジャズならでは、なんだがね。そもそも白人は黒人音楽を聞かなかったので、わざわざ白人が顔を黒く塗って黒人音楽を演奏したりしていたわけです。シャネルズというのは、アレは、そんな由来がある。ビリー・ホリデイというと黒人差別とか、そういう話が多いんだが、おいら英語があまり得意じゃないので、ただ聞くだけです。ひと頃、彼女の最後のレコーディングのCD2枚を毎日聞いていた。オールドパーの炭酸割りチビチビ飲みながら、自作の38cmバックロードホーン真空管ドライブで聞くと、アルテックのスコーカーのすぐそこで彼女が歌ってるようで、毎晩、泣いてました。で、有名どころでサマータイムです。1936年の録音なので、こちらはまだ声に張りがある。



晩年は麻薬で身体を壊して、声も出なくてボロボロなんだが、ところがラストレコーディングはまた、メチャクチャいいわけです。前作「Lady in Satin」ではあれだけボロボロだった声には艶が戻り、むしろ落ち着きすら感じさせる。実は、この吹込みからわずか数日後に彼女は亡くなるのだが、あるいは、死を覚悟して、受け入れる気構えが出来ていたとでも言うのか。1959年7月17日、華やかな時代もあったのに、結局は麻薬と、入れ替わり立ち代わり現われたヒモにカネを使い果たしてビリー・ホリデイは死んだ。唯一の相続人である前夫【まだ離婚手続きは完了していなかった】に遺したのは1345ドルだったが、わずか半年後には、彼女のレコードの印税は10万ドルにのぼったという。



ビリー・ホリディの盤では、歌唱、バック、音質ともに最高のものだと思う。ジャズシンガーの盤の中で比較しても、これを超えるものはないと思う。この盤について、わかってくれる人がもっと増えて欲しい。絶頂期の歌唱カはもはやないという人の批評は、このレべルの深さにとってはもはや問題にするほどのものではない、とすら言える。
第7曲から俄然冴えてくる。自己の心情を全て出し切って唄っているのが伝わってくる。苦しい過去、現在を乗り越えていつ終るとも知れぬ自分のいいのちを達観して全てを肯定した強さを感じさせる唄い方だ。心が、歌を出している。
バックも力の限りそれに応えている。すばらしい。涙を禁じえなくなる世界がある。



ラスト・レコーディングからI'll Never Smile Again です。なんかねぇ、死を直前にして、悟りを開いたみたいな、そんな印象すら受ける。11歳で強姦され、14歳で娼婦として逮捕され、それから一転、女優、歌手として名声を得ながらも、一生、麻薬と悪いオトコから離れられなかった幸薄いオンナの、44歳のラストソングです。

ところで、ビリー・ホリデイを敬愛するミュージシャンは多いんだが、晩年の彼女の伴奏者であったマル・ウォルドロンによって追悼アルバムとして作られたのが、このレフト・アローンです。



ビリー・ホリデイの後にコレを聞くと、すぐそこでマル・ウォルドロンがピアノを弾いてるような、そら、おいらの作った38cmバックロードホーンの威力というものなのか、おいらが組み立てたロシア製真空管のアンプの威力なのか、やっぱりジャズは真空管にバックロードホーンだよね。



ところで、「Lady in Satin」はYoutubeにアルバム全曲がアップされてます。つうか、ビリー・ホリデイは没後50年を過ぎているので、もはや、印税を貰ってくれるヒモのオトコもいないのです。下の画面をクリックすると、1時間を越えるビリー・ホリデイの世界に浸れますw


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コメント(14)

>麻生太郎ちゃんも頑張ってね

無理だよねw自覚してないからwww

それが顔に出てるでしょwww
あんな口の曲がったひょっとこ顔してるのは、
自覚は無いけど、バカがコンプレックスになってる証拠だよwww
あんなひょっとこ、普通いねーよwww

やるせない、気怠い、現実逃避、憂鬱、重い、哀しみ、切ない、無力感、叫び by 貧困と差別

ビリーが身も心も捧げたヤクはなんでしょうか?

1.コカイン
2.ヘロイン
3.覚醒剤
4.MDMA
5.LSD

blue moon と Dream a Little Dream of Me も追加で

あの時代はヘロインだろうね。

ブルームーン
http://youtu.be/9LOB_I7sgoI

Dream a Little Dream of Me (サッチモと共演)
http://youtu.be/SWE_Ss7G0SM

わ~い、あざっす。

そう言えば、お~らの泉で和田アキオにこの人の霊がついてるとか
言ってたようなw

ついてねーよw

あったw

http://k-tantan.blog.so-net.ne.jp/2005-09-15
「すごいなあ、でも本当に。これ言うつもり、全く無かったんですけど」和田さん。
「だから、それと今日があるから。後ろの人達が、レイ・チャールズさんもみんな知ってるのよ。
「だからこの場で全部解決すればいいと思ってるから。霊はみんな知ってるの。そう」美輪様。
首を横に振る和田さん。
「ええ?」和田さん。
「それからね、あの魂はあれ、なんて言うの。あの若くて死んだ女の黒人の人で。
『Willow Weep For Me』。あの『柳よ、泣いておくれ』」美輪様。
「くちなしの花、付けてた人ですか?」和田さん。
「そうそう、そうそう」美輪様。
「えっとー、お。えーあれ?なんで出て来ないんだ?」和田さん。
「私も出て来ない」美輪様。
「えーと、あの路線をね、よーく噛み締めて何度も何度も聞いてご覧なさいって」美輪様。
「ほーう」和田さん。
「そこにね、答えがあるからって」美輪様。
「うんー、あ、そうですか」和田さん。
「うん」美輪様。

「こんな悲しい事があるかしらって、言うような声なのよ」美輪様。
「『ストレンジ・フルーツ』なんか歌うと凄いんです。奇妙な果実」和田さん。
「そうそう、そうそう」美輪様。
「その方ですよ!」江原さん。和田さんの後ろを指差し。
「ええ?!」和田さん。口を少し曲げて。
「あ!それだよ。あのね・・・えーとね、」美輪様。
「それで名前出して欲しいんだ。その人!だから赤いドレス着てませんでした?」江原さん。
指差したまま。
「そうそう」美輪様。
「赤いドレスかなんかわかりませんが。たまには着てらっしゃるんじゃないですか?」和田さん。
「うわあ、寒い(さみい)」太一くん。両肩を上げる。
「なんて名前だっけなあ?」美輪様。
「その人」江原さん。

「その人が一回美輪さんに入って、美輪さんが涙」太一くん。江原さん、入って出ての手振りをする。
「いやあ、だから・・歌いたいしさ。その祈りとか、そのどれだけの仕打ち受けたかとかさ。
色んな事や何かをね、アッコちゃんに託して。それで、あの『そんな、なんで勿体無い事するの?』
っていう事なのよ。思い出した!」美輪様。思い出した、でパン!と手を打つ。
「はい」太一くん。
「ビリー・ホリディ」江原さん。小さな声で。
「ビリーホリディ」美輪様。指差す。
「はい!ビリー・ホリディです!はい、ビリー・ホリディ。
そうそう。そうです、そうです。はい」和田さん。


正解

ヘロ中だと普通オーバードーズで逝ってしまいます。寝ながら飛んでる間に逝けます。ヤクが切れて朝起きたら一緒に隣でやってたヤツが死んでたって感じなので暴れて人に迷惑を掛けません。

ベッシー・スミスもええでんな
http://www.youtube.com/watch?v=6MzU8xM99Uo

ところで、何故か、ビリー・ホリデイは「ロックの殿堂」入りしてるんだよね。どれだけ影響が大きかったか、これだけでも判る。

ほんとだ。

2000年受賞者
エリック・クラプトン (1945年生 - )
アース・ウィンド・アンド・ファイアー
ラヴィン・スプーンフル (1965年結成; 1968年解散)
ザ・ムーングロウズ(The Mooglows (English) (1952年結成)
ボニー・レイット (1949年生 - )
ジェームス・テイラー (1948年生 - )
ビリー・ホリデイ (1915年生 - 1959年没)

しかしチョイスがカオスw

いつもいつも無関係なコメで済みませぬが、ビリーホリディって云うと
Bob Dylan の 「Lay Lady Day」を思い出します。
http://www.youtube.com/watch?v=N6ODMKSWzT4
この曲はビリーホリディを偲んで作った曲だそうですが、小生にはどうしても出だしが
レレレレー♪と聞こえてしまい笑ってしまったった憶えがゴザイマス。
残念ながら、ビリーホリディの特に晩年の声というのは、小生にはちとツラいです。
「音楽」が「音が苦」になってしまってるような気がします。

和田明夫はとにかく地声は悪くないと思うんだけど、何せ音程がいけません。
美輪様はビリーホリディに託けて、アンタもっと精進しなさいよ、と云いたかった丈
なのかも知れないですね。一応大御所の面子を潰さない様に気配りしたのかな…

すみません、タイトル打ちまちがいた orz
「Lay Lady Day」 → 「Lay Lady Lay」 でした。
訂正して、お詫びするなり。

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