YMOのネタ元はコレ

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イエロー・マジック・オーケストラというのがあったわけです。おいらの若い頃には物凄い人気で、とにかく「新しい」わけです。テクノ全盛期で、世の中、これからはコンピュータだと、時代の象徴だった。そのPVで、ファイヤークラッカーという曲です。ファイヤークラッカーというのは爆竹の事ですね。

その日細野が2人を自宅に招き、3人はこたつを囲んだ状態で、焼きおにぎりを食べながら("おかかおにぎり"や"みかん"という説もある)会合を行った。細野が新たなグループのコンセプトを彼らに伝えたところ2人は賛同、ここで初めて"YMO"が結成される。このとき細野は2人に「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーを使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、シングルを世界で400万枚売る」という自身のメモが書かれたノートを見せている。
YMOは、結成当初から、この曲を看板にする予定でスタートしているわけだ。もっとも、この曲は「マーティン・デニーの」と書かれているように、YMOのオリジナルではない。では、マーティン・デニーとは何者なのか?



「サケロック」というタイトルになっているが、「ファイアークラッカー」のスローバージョンです。1950年代からデニーはこの曲を盛んにやっていた。マーティン・デニーというのはエキゾチカ・サウンドの大御所です。1950年代、アメリカで大人気だった。若い頃からクラシックピアノを学び、第二次大戦ではヨーロッパで転戦。戦争が終わると34歳で改めて大学に進み、音楽を学ぶ。1950年代にはアメリカ各地で音楽活動に参加、ハワイでエキゾチカ・サウンドを始めてからは、評判になって全米アルバム・チャート一位も獲得してます。全米ツアーで儲けまくってからは、ハワイに落ち着いている。この人、長生きで、90過ぎまで生きた。亡くなったのは2005年です。



このアルバムはIとIIの二枚組でこの値段なので、お得です。寒い季節にこそ、こういう音楽を聞きたいものだw



モーグのシンセサイザーで作られたアルバムです。1969年なので、ずいぶん早い。モーグがシンセサイザーを売り始めたのは1964年なんだが、日本では70年代に入っいてもまだあまり普及してなくて、ピンクレディの「UFO」でピロピロ鳴っているのがシンセなんだが、その当時、シンセ持ってる人が少なくて、おいらの知人のキーボーディストが特別に依頼を請けて持ち込んだそうです。1976年の事です。



貴重なフイルム。当時のマーティン・デニーの演奏スタイルがよく判る。基本、5人ですね。ホテルのラウンジやクラブで観光客を相手に演奏していたようだ。マーティン・デニーはハワイ出身というわけでもないようなので、白人の目から見た「南の楽園」なんだろう。



とりあえず鳥が鳴きますw なんか吠えてますw バイブラフォンと太鼓が絡みます。それを、マーティン・デニーのピアノがしっかりと支えてます。



香港ブルースという曲。ドラが鳴って、わけわからん弦楽器がベコベコ鳴って、いかにも、という風情。マーティン・デニーの楽団は、よく判らない民族楽器を使う。クラシックを長年学んで、大学でちゃんとした音楽の勉強をやってきた人なので、ナニをどう使っても破綻させない。うまく音をまとめてます。



香港ブルースという曲は、元はホーギー・カーマイケルらしい。ホーギー・カーマイケルというのは、スターダストや我が心のジョージアを作った人です。



細野晴臣は、この香港ブルースが好きなようで、ティンパンアレイ時代に吹き込んでます。



こちらはライブ。



再びマーティン・デニー楽団の演奏風景。マーティン・デニーはピアノとオルガンを持ち替えながら演奏。バイブラフォン系が二人、ベースとギター。ラストで鐘を鳴らすところが、まぁ、アレだ、観光客には大受けだったと思うよw



「支那の夜」です。マーティン・デニーは蘇州夜曲も吹き込んでいるんだが、こういう曲では三味線弾いたり、琴を使ったり、色々と聞かせてくれる。

さて、ヨーロッパ戦線で地獄を見てきた男が、戦後、選んだのは脳天気な熱帯音楽を作り上げる事だった。まだ、誰も聞いた事がない、でも、心の中に持っている、理想郷。それを音にして、ハワイを訪れた観光客に聞かせる。それが大人気になり、全米アルバム・チャートの一位まで上りつめる。「新しい音」を追い続けた彼は、最初期のモーグ演奏者となり、電子音楽でも先駆者となる。そして、時が過ぎ、老人が忘れられようとしていた時に、YMOがそれを蘇らせた、と、まぁ、そんな感じですね。

コメント(17)

1978〜1981年時に私は小〜中学生。狂ったようにYMOを聴いていました。
YMOチルドレンと呼ばれた連中は、様々な枝に連なる「元ネタ」を過去にさかのぼり手当り次第に聴いてきたんじゃないでしょうか。私も『Exotica』は愛聴しています。それが、YMOの最大の功績じゃないでしょうかね。
今のJ-POPを聴いてる子供たちには、それは望めないことですよね。

ファイアー・クラッカーのマーティン・デニーってそういう事か.. と久々に刺さったエントリーでした。やっぱこのサイトの音楽ネタはいいなぁ..

YMOは中高生ぐらいの頃だったかな、興味はあったけどレコード買う金もなし、ラジオで聞いてたぐらいですが、オッサンになってから初期の頃のはCDで聞き直しました。
音楽的にちゃんとできてるし、インスト中心のバンドであそこまで大衆受けしたってもの凄い。初期のYMOはシーケンサーは補助的に使ってるだけで基本は手弾き、それがその頃の限界でもあったのでしょうが、ライブなど見てるととても人間味がありますね。

YMOは高橋幸弘ぞ あれを発掘しただけで価値がある
坂本現代演歌に集中する皆さんに侮蔑を通り越して絶望したははは
細野の抒情的にしてリアルが発現できなかったのが致命 無意味とっ

当時でさえ嫌悪してたははは 糞野郎めが ぐえーっペッぺぺっ
矢野はあまりにも巨大で豊饒な副産物だわさ

南京まちの~ぉ、おかしな娘~ぇ、
リュウショウさんでも~ぉ、からかってみょ~かぁ~♪

...好きな事をやっている人は、強いですね。

もう35年前ですか。高校の時デビューLIve見た。
中野サンプラザでアメのロックバンド、チューブスの前座でした。
中華人民服で登場。
今まで聴いたことの無いオリエンタルなテクノポップ。
メンバー紹介もなく、誰だかわかりませんでした。
不思議な盛り上がりでしたねええ。
前座がメインを喰ってしまったw
暫くして大ブレーク。
色々な意味で驚きました。

懐かしいな。
厨房時代、テクノポリス初めて聞いたときのあの衝撃思い出す。

新鮮というより衝撃でした。今でも音楽には疎いが、Y.M.Oは今でも何曲かMP4化してプレイヤーに入れています。

YMOこそ、MP3やらCDで聴いちゃいけない音だと思います。

アナログ盤で聴いた時の、あの突き刺さる三角波の先鋭感が、CDでは萎え萎えです。

日本でシンセといえば「UFO」のピロピロあたりでお馴染みになったのかも知れませんが、その何年か前から冨田勲という人がいまして、ドビュッシーとかの曲を演奏したアルバムが結構売れていたようですが、その人の弟子の松武秀樹で、この人はYMOを手伝っていて、ライブでもでかいモーグを取り扱っていて、時々故障したりしていました。

僕がYMOを初めて聞いたのはFM東京の「シンセサイザーランド」という番組で放送されたライブで、これには冨田勲も参加していたはずですが、これですっかり驚いてしまった僕は冨田の「ダフニスとクロエ」を買うのを止めてYMOの方に乗り換えてしまったものです。

そういえばチューブスのコンサートを見に行った近田春夫が自分が働いている中華料理屋にYMOを連れて来るというテレビドラマもあったような気もするんですが、今となっては何だかわからない。夢だったのかもしれない。

日本でシンセといえば「UFO」のピロピロあたりでお馴染みになったのかも知れませんが、その何年か前から冨田勲という人がいまして、ドビュッシーとかの曲を演奏したアルバムが結構売れていたようですが、その人の弟子の松武秀樹で、この人はYMOを手伝っていて、ライブでもでかいモーグを取り扱っていて、時々故障したりしていました。

僕がYMOを初めて聞いたのはFM東京の「シンセサイザーランド」という番組で放送されたライブで、これには冨田勲も参加していたはずですが、これですっかり驚いてしまった僕は冨田の「ダフニスとクロエ」を買うのを止めてYMOの方に乗り換えてしまったものです。

そういえばチューブスのコンサートを見に行った近田春夫が自分が働いている中華料理屋にYMOを連れて来るというテレビドラマもあったような気もするんですが、今となっては何だかわからない。夢だったのかもしれない。

YMOは厨房の頃、幼馴染の家で聞かされ衝撃を受けたなぁ
何これ???スゲェ~!とね。
そいつの家に遊びに行くたびに新しい音楽を色々と教えてもらった。
YMOのファーストアルバム(LP)が1円だとorz
http://page3.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c378122117?u=%3brecycleharbor
ジャンク扱いだが欲しいなw

私もYMOには相当ハマったクチです。
が、初めて聴いたときにもっと何倍もの衝撃を受けたのは
クラフトワークの「ショウルームダミー」でした。
三宅一生が出演したサントリー角瓶のCMとともに思い出します。

サントリーのCMではダルマ、TheVillageStompersのWashingtonSquareを編曲したものが印象に残っています。
因みに失礼ながら、どなたか、此の曲を女性ボーカリストがカバーしたものを御存知ありませんか。30年程前ラジオで聴いたのですが、歌手名など聞き逃したのです。折に触れCDを探し続けているのですが、見当たらない。

YMOと言えばやっぱりスネークマンショーですなw

中沢新一と細野さんの対談?に「観光」ってのがあって、あれが妙に面白い。

数年前中古で文庫本買ったんやけど全然安くなってなかったw

あれでんな
Bill Contiが
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調をパクって
映画ライトスタッフでアカデミー賞音楽賞を獲ったって
感じの話しでんな♪

Dennyも良いですが、かつての深夜放送なども触れていただけたらと思います。深夜放送にはフィラーという奴がつきものだと思うのですが、自分が聞きたいフィラーがなかなか見つかりません。あるのはANNばかりなり。

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