お鼻の赤い神さまについて

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角川映画の主題歌たちについて語りたい。で、角川春樹という人物なんだが、Wikipedia見てるだけで面白いw

早稲田大学第二文学部史学専修に受験し合格したが、國學院大學理事の地位にある父の懇願で國學院大學文学部に進学。在学中は拳闘部に所属してボクシングに熱中。

大学3年の時には、渋谷ハチ公前で全学連相手200人に一人大立ち回りを演じ、新聞沙汰になったこともある。「俺の魂はスサノオノミコト」だと主張。毎日、祝詞とお経をあげ、「私は絶対だ。私は完全だ。私は神なのだ。」と唱えている。結婚歴は6回、離婚歴は5回である。

1964年:國學院大學文学部卒業。角川書店の跡取りと悟られぬよう母の旧姓で取次の栗田書店と創文社に入り、半年ずつ修業。かたわら新宿3丁目でスナック「キャッツアイ」を経営し、昼はサラリーマン、夜はバーテンという二重生活を送る。

尿道結石で入院中の手塚治虫の手を握って治し、それへの感謝として『火の鳥(太陽編)』を角川書店が発行の『野性時代』で連載させ角川で作品を文庫化させている。

武田信玄、天武天皇、神武天皇、ヤマトタケルの生まれ変わりを自認しており、チンギス・ハーンだけは他人に指摘されて気付き、その記憶だけは無いという。
角川映画は春樹のワンマンで作られているので、良くも悪くも独断です。でなきゃ、14歳の薬師丸ひろ子や、あまりパッとしない地味顔の原田知世がヒロインになったりしない。主題歌もそうで、この人でなければ世に出なかった名曲がいっぱいある。



初出/2008-06-05

鼻が赤くてアレなんで悪人呼ばわりされるんだが、おいら、この人の悪口はいいません。むかし小説家やっていた頃、角川の子会社でオートバイ小説書いて、そしたらオッサン、何を考えているやら、いきなり5万部も刷った。ワンマン会社なので、部数はすべて角川春樹が決めていたらしい。で、印税200万も貰った事があるんでね。おいらの本は、そんなにゃ売れません。角川春樹という人はイケイケドンドンの代表みたいな人で、何の映画だったか、オートパイレースの場面の撮影で、突然「オレが乗ってみる」と言いだして制止もきかずにコケて大怪我、撮影が延びてしまったという話もある。レーサーなんか乗った事もないのに、鼻が赤いので全知全能の神だと思いこんでしまうわけだ。ちなみに、レーサーのオートバイはチェンジが逆だったりして物凄く乗りにくい。素人に乗れるもんじゃないんだが。



まぁ、そういう勘違いしたバカが大金持ってイケイケドンドンやるから、映画というのは面白い。算盤だけは達者な小心者が会議でああでもない、こうでもないと話し合って作るものではない。で、映画を作るにもワンマンで、何でも自分の思いのままにやるわけだ。



角川映画というと思い出すのはコレなんだが、ジョー山中です。亡くなりましたが。人間の証明のテーマ。流行ったというか、毎日TVCMで叩き込まれるので覚えてしまうわけだ。

それまで映画会社はテレビをライバル視していたことと、あまりに広告料が高いため、テレビCMはあまりやらなかった。しかし角川は前代未聞の広告費をつぎ込みテレビCMなど大規模な宣伝をうち、書籍と映画を同時に売り込む事によって相乗効果を狙ったもので、結果大成功を収める。映画製作を目的とした角川春樹事務所も1976年に設立された。翌年には第2作『人間の証明』(1977年)の宣伝のキャッチコピーとなった「読んでから見るか、見てから読むか」「母さん、ぼくのあの帽子、どこへ行ったんでしょうね」は大量のテレビCMが流され、流行語となった。
とてつもない巨額の宣伝費を投入するというのに、ほとんど無名のジョー山中を起用するあたり、ワンマンの極みなんだが、この人、経歴が面白いです。
1962年
- 腕っぷしの強さを聞きつけた金平正紀にスカウトされ上京、金平ジム(協栄ジム)入りしボクシングに打ち込むが三年やって辞める。
1965年
- GSグループ「4・9・1(フォー・ナイン・エース)」を結成し、ボーカルを担当。翌年シングル『星空を君へ』でデビュー。(その後脱退)
1970年
- 内田裕也の誘いに応じ、ロックバンド「フラワー・トラベリン・バンド」の結成にボーカルとして参加。同年アルバム『anywhere』でデビュー。アルバム『SATORI』をアメリカ・カナダで同時発売するなど国際的に活躍。
1973年
- 4月の京都公演を最後にバンドは解散。以後はソロに転じ、翌年アルバム「Joe」をリリース。
1977年
- 映画「人間の証明」に俳優として出演。主題歌『人間の証明のテーマ』(歌詞は西条八十の詩の英訳)も担当し、50万枚を超える大ヒット。
フラワートラベリングバンドのボーカルだというので、まぁ、知る人ぞ知る、知らない人は知らないという経歴で、喧嘩が強いらしい。ちなみに映画には俳優として出演している。で、たしかに歌はうまいしカッコイイんだが、主題歌をうたわせて巨額のTVCM費用を投入するのに、鼻の赤いキチガイオヤジでもなければこんなもん起用するわけがない。ワンマン万歳だw で、次にコレなんだが、





「戦士の休息」というのは「野生の証明」の主題歌だ。主役は世界の高倉健と、これがデビューの薬師丸ひろ子。まだ14歳でした。おとうさん怖いよ。こんなまん丸な顔した素人娘を高倉健の相手役に起用するあたり、やっぱりワンマン万歳だな。今の時代だったら、プロジューサーと監督がすべての主演女優候補を抱き比べて、薬師丸ひろ子ならぬ「ヨクシマルオメコ」で決めるんだろうが、鼻の赤いオジサンはロリコンなのでそういう事はしなかったようだ。で、主題歌を歌っているのは町田義人。まだ14歳の薬師丸ひろ子には、主題歌は無理だったのかね?

成城大学在学中の1968年に「ズー・ニー・ヴー」を結成、ボーカルを務める。 ズー・ニー・ヴーは「白いサンゴ礁」のヒットで注目を集める。その後脱退し、ソロで活動。1978年公開の映画「キタキツネ物語」において、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、メインテーマ「赤い狩人」を歌う。同年の角川映画「野性の証明」でもメインテーマ「戦士の休息」を歌い、ニット帽にサングラスというスタイル、そしてオリコン最高位6位、29万5千枚のセールスを記録した事でも注目される。
ズーニーブーのボーカルですかそうですか。また、マニア好みの人なんだが、どうしてこう、GS崩れみたいな、微妙ところを連れて来るのかw しかし、名曲です。コレを毎日なんべんもTVから叩き込まれるので、どうしたってヒットしてしまう。角川春樹という人は、「実力がありながら、パッとしないでくすぶっている」人を売るのがうまいわけだ。横溝正史というのもそうだったが。で、角川映画はやがて角川三人娘の時代に入る。Wikipediaの解説です。
1980年代は、スター・システムによるアイドル映画を手がけた。特にコンテストで発掘され角川春樹事務所に所属した薬師丸ひろ子、渡辺典子、原田知世の3人は「角川3人娘」と称され、薬師丸は『野性の証明』(1978年)『セーラー服と機関銃』(1981年)で、渡辺は『晴れときどき殺人』(1984年)で、原田は『時をかける少女』(1983年)『愛情物語』(1984年)で、一躍スターダムへと駆け登った。この3人はテレビに露出することが少なく、テレビに出演しているアイドルが映画に出演するという1970年代以降の形でなく、映画全盛期のスクリーンでしか見られなかったかつての映画スターと同様の存在として、若い観客を映画館へ呼び戻した。
よく見ると「物凄い美人」というわけでもない、微妙なんだが、つうか、そこら辺にいそうな女の子なんだが、露出を絞った事によって有難そうに見えるわけだ。






この頃はまだ下手です。曲は名曲です。この頃、おいらの知人が薬師丸ひろ子の運動靴を持っていた。新宿のスタジオでレッスンしていて忘れたモノらしい。パートのオバチャンが知らずに持ち帰って、気をきかせて取りに来るだろうからと洗濯しちゃったそうで、洗ってなければ「お宝」なのに、と残念がっていた。ちなみに、当のオバチャンは薬師丸ひろ子が何者なのかまったく知らないという、まぁ、普通の女の子にしか見えなかったらしい。
メインテーマWoman、なんていうのもあります。だんだん歌がうまくなるね。渡辺典子はどうでもいいです。つうか、たまには外れもある。で、原田知世なんだが。





原田知世は目が小さいし、あまり派手な顔ではない。角川春樹がプッシュしなければ世に出なかった顔なんだが、ワンマンというのは凄いもんだ。ところが、彼女には幼い頃から追っかけのファンがいて、バレエの発表会なんぞを撮り溜めていたそうで、その爺さんが、デビュー前の原田知世の写真で個展やったりしている。おいらの評価としては、薬師丸ひろ子と原田知世を世に出したというだけでも、角川春樹は偉大だと思う。両方とも、いまだに現役でしっかり仕事しているしね。で、天国にいちばん近い島なんていうのもありました。

で、角川映画といえば忘れてはならないのがコレなんだが、



ウォンチューです。南佳孝です。




1972年にテレビ番組「リブ・ヤング」(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日にアルバム『摩天楼のヒロイン』(松本隆プロデュース)でデビュー。この日、文京公会堂にて行われた音楽バンド「はっぴいえんど」の解散記念イベント「CITY-Last Time Around」への参加がデビューステージとなる。1979年に発売された『モンロー・ウォーク』を郷ひろみが『セクシー・ユー』のタイトルでカバーし大ヒットした。その後、映画音楽やCMソング、他のアーティストとのコラボレーションやプロデュース、さらに音楽以外ではナレーションなどもこなす。
「スローなブギにしてくれ」って、コレも流行ったね。片岡義男のオートバイ小説というのも角川のウリだったんだが、この人、元はテディ片岡という名前で、寝ぼけてコンドーム付けたままションベンして、それを女房の顔にぶちまけるとか、そういう小説を書いていた人です。人に歴史あり。

で、あれから幾星霜、角川春樹は角川書店から追い出され、それでもめげずにやってるようで目出度いです。最近では「男たちの大和」でまたしても世間を騒がせたね。まぁ、角川一族は本社周辺の土地を地上げしまくっていた時期もあるほどの金持ちなので、これからも良い意味でのワンマンで世間をアッと言わせて欲しいものです。

コメント(27)

サトリは高校の文化祭で演奏したぞー
ベース受け持ったからでけたけど
ボーカルは声でなかったぞー裏声でも(笑)
今聞いても凄い曲。

スローなブギは浅野厚子がかわいそうだった。最後

>何の映画だったか

汚れた英雄(ここはヒデオでwww)ですねw
ヒガシコクバルヒデオみたいな感じでwww

>スローなブギにしてくれ

BBAのはず(放送時49歳w)の浅野さん(救急救命士牧田さおりw)の太股が良い感じですたw
ハタチの頃なら無問題w

>原田知世は目が小さいし、あまり派手な顔ではない

貧乏臭いんだよねw今なら蒼井優www
薬師丸もそうだよねw
渡辺典子だけちょっと違うwお薬やってたのかね?www

年末にBSで、高倉健特集やってて、久しぶりに野性の証明を見たな。
原作では、もっと悲劇的なラストでしたが、映画では改変されていましたね。
久しぶりに見た「駅」も良かったな。
で角川映画ですが、やはり最高の成功作は「犬神家の一族」だと思います。
監督が市川崑だったのも大きかった。 あの映画の後の横溝正史ブームは、若い人は?でしょう。
例えて言うなら、貞子ブームを生んだ、リング以上だったということです。
しかし、横溝正史の世界観も、今の若年者には理解不能でしょうね。
遠い昭和の残滓と言われそうですが。 
横溝正史の作品の多くに出てくる、あるタブー 近親相姦というタブーが、
時代が21世紀になろうとも、変わらず忌み嫌われるタブーであることは変わりません。
人間の変わらない醜さのように。 で人には、醜い物を見たいという矛盾した欲求がある。

>オートパイレースの場面の撮影

汚れたヒデオ?

あぁ そうそう 個人的に大好きなのは「魔界転生」
あの映画は、深作映画の真骨頂。 
ラストの千葉ちゃん演じる柳生十兵衛と、若山富三郎の柳生但馬守の、炎の中での決斗
そして、炎上する江戸城に仁王立ちする十兵衛
あの映画の殺陣を見直すと思いますが、若山富三郎は上手いなと思います。
殺陣に迫力と気品と切れがあります。 最近の日本映画では、見ることはできません。

それもTZ500じゃなくてTZ250でコケタはずw
1UP5ダウンでもコケねーよwww
発進できずにコケたんじゃね?
提供は資生堂ですwww

角川春樹が映画の撮影のとき、
自分でバイク走らせてコケて鎖骨折ったのは、
「汚れた英雄」のときね。
バイクはヤマハのTZ250、
なおシフトペダルのレーシングパターンは、
逆なのを知ってれば普通にバイク乗る人なら、
特に問題ないと思う。
ただ角川春樹はこのときバイクの免許無し、
だったと記憶してます。
公道じゃないし違法な無免許運転ではないけれど。

角川春樹といえば、俳句のほうでも存在大きい。
結社「河」の主宰で、独特の句があります。

 向日葵や信長の首打ち落とす

 晩夏光ナイフとなりて家を出づ

 睡りても大音響の桜かな

角川書店は創業者の角川源義(春樹父)が俳人でもあり、俳句関係に強い出版社でもあります。角川俳句賞というのがあって、これは俳句の芥川賞みたいなもの。明日は、昨年個展に来てくれた人が授賞式で、祝賀会に行ってきます。

 

>>海DONさん

当時、バイク雑誌で、
「汚れた英雄」の撮影グラビアや春樹インタビュー、
読んだ記憶があります。

撮影途中、免許もないのに自分で乗ってみる、
と言い出して、誰も止められず(w
TZ250でサーキットをなんとか走りだすも、
そのまま戻ってこない。
スタッフが慌てて探しに行ったらコケてて、
鎖骨骨折>救急車、という話だったと思います。

あーそれじゃUターンできないで立ちゴケか、Fブレーキ掛けて立ちゴケ(江口ゴケ)ですねw
セパハンだしw

元気の良いおっさんですねw
やんちゃするのには経験値不足ですwww

戦士の休息・・・カラオケで歌いますwww
小梅ちゃぁ~ん

>オートパイレースの場面の撮影
ストーリーの終盤にあるレースで
主人公の草刈正雄がスリップしてコケル場面から
逆転して勝っちゃう場面の演出の事で
吹き替えの本物のレーサー平忠彦にコケてくれと言ったが
その場面からスプリントレースで逆転して勝つことはあり得ないから
なかなか納得できない平に
角川春樹がこうするんだと身をもって体現した話だったとの記憶です。
で、皆さんご存知の通り社長は骨折ですねぇ。
因みに平忠彦は私の地元出身者でレースを始めた頃
平をバックアップした佐々木輪業というのがあって
前にコメしたことがある私が乗っていたCB125JXの面倒をみてもらい
その時に、そこのオヤジが平を自慢してました。
また、戦国自衛隊の撮影も私の地元で行われ
親族が足軽?のエキストラで参加してましたwww

帝都物語の最後になんでこの人が出てきたんだろうか

平は福島出身のはずw
あのルックスで訛ってて面白キャラだったんだけどw
汚れてないヒデオみたいなw

311の當日未明、と云ふか前日の深夜、日本國策放送にて或る歌番組が放映された。

偶々豫約録畫した内容を未だにHDDから削除できずにゐる。

200万円もらえば、まあ悪口はいえないでしょう。

「赤と黒の奔流」とかいって武田騎馬軍団(史実ではない)を撮って映画にしてみたがオオコケした90年頃、本郷の方でしばらくお世話になったことがあります。社員さんは「普通の人」ばかりですから、春樹さんと合わない人は神経病んだりして苦労してました。

>あーそれじゃUターンできない

そうじゃなくて撮影のため貸切だった、
サーキットのコースを走りだして、
最初か二つ目のカーブを曲がりきれずに転倒、
だったと思います。

バイクの免許も持ってない人間が、
ピーキーなTZ250(しかも乾式クラッチ)で、
なんとか走りだすことは出来ても、
スピードコントロールの感覚すら分からないし、
まともにカーブは曲がれません、普通(w

身を持って体現してみせた、
という話ではないと思う。
コケてそのあと春樹氏がスーパーラップタイム、
出した訳じゃないしね。

://www.tairaracing.co.jp/

レストア+カスタム のTZRが時々。

>あのルックスで訛ってて面白キャラだ

Mrバイクでなんとか長沢ってマンガ家が、
平やGPライダーをパロった四コママンガ描いてた。
福島出身もそのネタの一つで、
平が転倒のときは「コケた」ではなく、
「さらけたー」(方言)だったりして。
当時バイク雑誌に載ってた化粧品の平TEC21ネタ、
なんかもあったと思う。

そういえば昨年袋井のヤマハミュージアム行ったら、
ローソン&平組が、鈴鹿8耐久ヤマハ初優勝のときの、
TEC21カラーのFZR750ありました。
バイク好きならあそこは一度行くべし。

>身を持って体現してみせた
平忠彦のインタビュー番組の記憶で
コケる場面の話です。
コケる事を平忠彦が意味分からないと言ったら
社長がコケて見せた。
体張って演出されちゃぁ~やらなきゃいかんかぁ
というネタです。

平と同じ原町(南相馬市)の出身だけど
「さらけたー」は聞きません???
「つっぺった」なら馴染みがありますねぇ

>www.tairaracing.co.jp/

すいませんw
MVとハスクバーナが一押しみたいですが?w
ヤマハは最後ですw
これホンダ浜松の隣ぐらいじゃんwバイク関係ないけどw
これしかないじゃん資生堂仕様w
http://www.tairaracing.co.jp/machine-trx850.htm
ロスマンズカラーの方が多いけど良いの?w

だから、時々なんだって。

天と地とのキャッチフレーズ「赤と黒のエクスタシー」でしたか、
角川春樹が捕まった時、藤本義一が「あれは覚醒剤中毒の幻覚
そのものだ」と言い切っていました(笑)。

会議中に突然床に伏せたと思ったら
「今、関東大震災を鎮めていた」
という話が有名だよね。。。
今は絶対やんないだろうなあ。

スカトロ大王ガリガリ君竹内力を発掘した功績もw

例の角川騒動ですが、一言でいうと、ヤマトタケルの生まれかわり神君春樹公も魔都ロスの毒気には敵わなかったということでしょうかね。つまずきの始まりがハリウッド進出を賭けたルビーカイロの失敗、おそらくはロスで覚えたコカイン、極めつけは南加大中退でロスの会計士を連れて本社に乗り込んできた太郎さんがらみの騒動。

>鼻が赤くて
>あれは覚醒剤中毒

あれは、鼻からコカイン、です。アル中の赤鼻とは明らかに見た目が違うほど特徴的な赤さになったのは太郎さんのホモハラ報道の少し前ぐらいからで、よほどストレスがたまっていたのでしょう。なんか生気もない感じだったし。
 あれは、別に歴彦さん側が密告したというよりは(子供の叔父が薬中で務所行きってのは、いくらお家騒動真っ最中でもNGですよね)、太郎さんに社内をかき回されるのに耐えられなくなった家家老側の可能性の方がいくらか高いんですが、そのころは誰でも知っていたわけで、今更何処から漏れたのか分かりようないですね。
それまで羊のようにおとなしく耐えていた家家老連中が、太郎さんのホモハラ騒動を機に蜂起したタイミングではありましたが。
あとホモハラですが、付き人がストレスを感じるようなことがあったのは事実のようですが、これもロスの寄宿舎では普通の悪ふざけが、社命で付き人になった青年社員には耐えられなかったという所じゃなかったのかな。その後、普通に結婚してたし。

当時10代半ばでしたが
結局自分は70年代のこのあたりしか生きている感が
なかった気がします。
「笑って死ねる人生、それだけがあればいい」
今、これをとりあげて頂いたこと
潜水艦に感謝。

春樹さんといえば天河神社ですが、御大に煽られて多額の借金を背負ったのは知る人ぞ知る話です。こういう才能も春樹さんの特技だったのかなあと。
母さん、あの借金はどこへ行ったんでしょうか…

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