美輪明宏の特集です

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これもずいぶん昔に書いた記事。ネットゲリラでは何年も前から、美輪明宏をプッシュしていた。この人、紅白でヨイトマケ一発やっただけで日本中を仰天させたんだが、そうなって当たり前だ、というのが、この記事を読めば判る。




美輪明宏の特集です。むかしは丸山明宏といっていたんだが、長崎の女郎屋の息子だったとかいうんだが、戦後、東京の音楽学校に入学のために上京、実家が貧乏になったために苦労したらしい。それが、シャンソン喫茶「銀巴里」に出演するようになって人気者になります。

1952年、17歳の時に銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』と専属契約し歌手デビュー。

1957年、 フランスのシャンソン『メケ・メケ』を日本語でカバーし、大ヒットとなる。元禄時代の小姓の衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツなどを身に纏うユニセックスファッションと、「天上界の美」と三島由紀夫が絶賛した美貌で、マスコミから「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」と評され一世を風靡する。同じ1957年製作の映画『暖流』(増村保造監督。大映)に歌手で出演しており、カラー映像で50年前の当時の美輪の姿を見る事ができる。

三島とのエピソード「丸山君。君には一つ欠点がある。それは俺に惚れない事だ」。

むかしから「オカマ」というのはいたわけですね。歌舞伎役者のオヤマ崩れなんぞが、上野あたりを舞台に「男娼」としてウロウロしていた。薄汚い印象で、あまり上等なもんじゃなかったんだが、それが丸山明宏の登場で一変するわけだ。

歌うのも「シャンソン」という洒落た音楽だし、持ち前の美貌で芸能界を席巻する。上のWikipediaにもあるように、三島由紀夫が絶賛したというんだが、もっとも、さすがにおいらもこの時代の事はよく知りませんw



シスターボーイというキワモノ的存在だった丸山明宏が全国的に話題になったのは、何といっても「ヨイトマケの唄」の大ヒットから、なんだが、コレには「日本初のシンガーソングライター」という誉れが与えられてますね。メケメケのヒットからしばらく低迷が続くんだが、

そんな逆風の中、作詞作曲活動を開始。今もって美輪の主要なレパートリーとなっている『うす紫』、『金色の星』、『ふるさとの空の下』等はこの頃、既に作詞作曲していた。しかし、歌い手が自ら作詞作曲した歌を唄う事には当時の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、レコード化すらできなかった。美輪曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続いた。

しかし1963年には、中村八大らの助力により日本初の全作品自らの作品によるリサイタルを開く等、徐々に理解者が現れ始め、翌1964年には『ヨイトマケの唄』を初めてステージで披露する。1966年、前年の内にレコード化されたヨイトマケの唄(『ふるさとの空の下』とのカップリング)が注目され人気が再燃。こうした事から「日本のシンガーソングライターの元祖」と言われている。

ヨイトマケの唄については、コチラが詳しいんだが、最初、銀座にあったおフランスのおシャンソンのメッカ「銀巴里」で披露した時には、出だしの「エンヤコ~ラ」で場内大爆笑。それが、歌が終わる頃にはみんながすすり泣いているという、そこら辺がいかにもこの人らしいですね。



評判を聞きつけたTV局がやってきて、「木島則夫モーニングショー」に出演、たった一回の出演で、日本中が仰天する。この頃から、おいらもリアルタイムで知ってます。まぁ、シャンソンではないですねw 次に訪れるフォークソングの時代を予言するような名曲なんだが、その後も丸山明宏はシャンソンの名曲や、自作の曲を歌い続けます。まぁ、日本のシャンソンブームはほどなく終焉するんだが、彼は律儀にも、その最期まで立ちあいます

またこの年、40年近く唄い続けて来た銀巴里が閉店となり、美輪は最後の日の「さよならコンサート」で自ら作詞作曲した『いとしの銀巴里』を涙ながらに歌い上げた。この模様を各メディアは挙って大きく報じ、また翌1991年の映画『黒蜥蜴』のニューヨークでのヒットなども重なり、この頃から美輪が言う「メケメケ、よいとまけ、黒蜥蜴に続く四回目のブーム」の時期が訪れ、テレビやCM等への出演が増え、リサイタルなどのチケットも入手困難となったりする。



銀巴里はなくなったんだが、丸山明宏改め美輪明宏のその後の活躍は、言うまでもないですね。「天草四郎の生まれ代わり」を自称して、TVでも人気者、今では人生相談やスピリチュアルの達人として有名なんだが、それだけじゃないですね。いまだに、日本のシャンソン歌手としては第一人者です。その実力のほどは、有名な「愛の讃歌」を聞いただけでも判る。



リンク先のYoutubeでは、アルバム一枚、丸ごと聞けます。この人、削除依頼を一切、出してないw 常時、リサイタルのチケットは完売なので、自信があるんだろう。もっとも、最近の若い人は、美輪明宏がとてつもない大歌手であるという事を知らないわけです。半世紀以上も歌い続けているだけじゃない、性別を超越し、時代を超越し、ジャンルを超越した歌手として、歴史に残る存在なんだが、くれぐれも、単なる変わり者の爺さんだと思わないようにw



ちなみに、むかし、さる骨董屋で聞いた話。むちゃくちゃ高い西洋骨董ばかり扱う店なんだが、そこで、ロココ調の家具(もちろんホンモノの骨董品で、何百万もする)をドカドカと買っては、みんな白いペンキ塗ってしまうそうで、「あの人はどうかしてる」と嘆いてましたw まぁ、自分の美意識の前には、カネも権威も、何の意味も持ってないという、強烈な人であることは間違いないです。

コメント(6)

>自分の美意識の前には、カネも権威も、何の意味も持ってない
 という、強烈な人であることは間違いないです。

あらためて
PLEATSPLEASEを見直した人も
多いと思います

この方が毛皮を身につけたとしても
「動物がかわいそう!」なんて言う組織は
抗議とかしないほうがいいわよ ばかみたいだから


最近、昭和時代の総決算をしてますね。

宮ッチはどうしているのだろうか?餅でものどに詰まらせて逝ってしまったのだろうか?

一応、合掌

紅白、生まれて初めて録画でくりかえして見ていますよー
美輪さん 毎回泣いとります たまたま母が倒れて入院中なのもあって(鉄拳の振り子状態)

お節の甘いものの存在が初めてわかって ももクロも見てますが、、、

しかし、男装が似合う男って凄い!

ヨイトマケの唄、名曲ですよね。
この歌でいつも思い出すのは、2001年にお亡くなりになったマルセ太郎さんの逸話。

芸人の傍ら、副業としてスナックを営んでいたマルセさん、そこの常連客に、いわゆる893稼業の人がいたらしい。
カラオケに興じる893に「マスターもたまには何か歌えよ!」と言われ、歌ったのが大好きなヨイトマケの歌。

前半はよかった。
さすがの893もうっすら涙を浮かべしんみりしたとか・・
しかし後半の歌詞がいけなかった。
♪何度か僕もぐれかけたけど やくざな道は踏まずに済んだ~♪

それを聴いた893、「てめー!俺に喧嘩売ってんのか!」と豹変したとかw

芸術に政治ネタを絡ませるのは野暮だと承知しておりますが、
三島由紀夫を巡る丸山明宏と石原慎太郎ってテーマでひとつお願いしたいでつ。

美輪さんちは女郎屋ではないです。カフェ(今のカフェとはちと意味が違う、半分水商売的)でした。裏には女郎屋みたいなのがあったようですが。
紅白に出たら、美輪さんブーム来るとは思いましたが、ここまで凄い反響とは思わなかった美輪さんファンです。

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