「矢切の渡し」ちあきなおみ

| コメント(7)





ずいぶん昔に分析したんだが、矢切の渡しが凄という話。もちろんちあきなおみです。まず、冒頭の「つれて逃げてよ」が女の声で、男にすがるようにささやかれ、次の「ついておいでよ」が、男が振り返った視点で、はっきりと明確な男の声で答えられる。次は、「夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し」と、これは情景描写。もう、これだけで一気に、物語の「絵」が浮かびますね。名曲なのでカバーが多いんだが、ここまでしっかりと歌い切ったのは彼女だけです。彼女以外は、すべて「上手なカラオケ」というレベル。ところが、この曲はそもそもB面で、ヒットもせずに廃盤になっていた。それを蘇らせたのは、一人の旅役者だった。



72年のレコード対象受賞曲「喝采」で知られる歌手・ちあきなおみ。最愛の夫である俳優・郷治が亡くなった92年、表舞台から消え去ってから早くも15年。いまや「伝説の歌姫」と賛美され続ける彼女は、その後どうしているのか。実質上の「引退」以降のちあきを追い続ける迫真のルポルタージュ。年端もいかぬわずか5歳で踏んだ初ステージ、地方巡業の下積み時代、歌謡界のスターダムにのし上がってからの明と暗、夫・郷との蜜月と永遠の別れなどの過去を、ちあきと縁の深い著名人んらの新証言によって明らかになる。

ちあきなおみは、宍戸錠の弟と結婚していたんだが、亭主が死んだ時にショックで引退してしまった。以後20年。亭主の墓参り以外には姿を見せないという生活のままです。

梅沢富美男という人がいるんだが、最近では海老蔵騒ぎの時に
「團十郎先生という父親がいて、松竹という会社に守られて、いいお客さんに恵まれて、こんな恵まれた環境で舞台に立てるのは世界中で1人だけですよ。オレが同じことをしたら劇団はつぶれるし、仕事はなくなるし、全てを失う。僕は玉三郎さんとやる『名古屋山三』を楽しみにしていたのに...お客さんを裏切ったことになる。お客さんを裏切る役者は最低」
と発言して「よく言った」と喝采を浴びたんだが、この人は旅芸人の出身で、下からのしあがって来た人だけに、言葉に重みがあるわけだ。で、
大衆演劇・「梅沢武生劇団」の一座のスターで、女形で話題となり「下町の玉三郎」と呼ばれた。血液型はB型。現在、梅沢武生劇団副座長。
剣劇一座の座長で、戦前・戦後まもなくの大衆演劇隆盛期のスタ-で、浅草「常盤座」などの劇場を満員にした花形役者の父・梅沢清と娘歌舞伎出身の母・竹沢龍千代の間に生まれた。武生は兄。
梅沢武生劇団は、歌舞伎演目のパロディー芝居、ミュージカル仕立てのショー、レビューを得意とする(これらに梅沢富美男の歌謡ショーを織りまぜた3部構成で舞台が行われている)。
梅沢富美男がTVに出るようになったというのは、1982年頃なんだが、当初、ワイドショーなどで「大衆演劇がブームになっている」という特集が盛んに流され、「下町の玉三郎」というので、その頃には既に梅沢富美男は32歳なので、芸歴数十年といったところです。で、当時、梅沢富美男が十八番としていたのが、「矢切の渡し」だった。
あまり知られてないんだが、「矢切の渡し」はもともと、ちあきなおみの曲です。この頃には既に廃盤になっていて、そもそもあまりヒットした曲ではない。その曲に合わせて綺麗に女装した女形の梅沢富美男が踊るんだが、まだワイドショーで放映される前から、梅沢富美男が華麗で倒錯した踊りを見せると、日本中の舞台でファンのオバチャンが狂喜乱舞して投げ銭の嵐になり、万札を繋げてレイにしたのを駆け寄って首に掛けるという、それまで日陰の存在だった「大衆演劇」というのが一躍、メジャーの舞台に躍り出たわけです。

で、この人気に目をつけたのが、当時「ドラマのTBS」と呼ばれた、まだ腐ってない時代のTBSです。

淋しいのはお前だけじゃない [DVD] 淋しいのはお前だけじゃない [DVD]
価格:¥ 23,100(税込)
発売日:2002-03-27

「TBSドラマの最高傑作」とまで呼ばれる名作なんだが、とにかく出演メンバーが凄い。西田敏行、木の実ナナ、泉ピン子、財津一郎、萬田久子、河原崎長一郎、橋爪功、真屋順子といった芸達者な役者たち。脚本の市川森一はこの作品で第一回の向田邦子賞を受賞してます。
取り立ての名手のわりにウダツが上がらない沼田(西田敏行)は、妻のよし江(泉ピン子)とほそぼそと暮らしていた。ある日、太陽ローンズの影のオーナー・国分(財津一郎)からお声がかかり、面倒を見ていた女(木の実ナナ)が旅役者(梅沢富美男)と駆け落ちしたので、慰謝料2000万円を取り立てて欲しいと頼まれる。さっそく沼田は、四万温泉にある演芸場へ向かうが、ふとしたことから旅芝居の一座へ足を踏み入れることになる。義理と人情が時代を超えて呼吸している大衆演劇の世界で、沼田はやがて少しずつ変わっていく...。
このドラマの見せ場が、梅沢富美男の踊る「矢切の渡し」でしたね。子供の頃から32歳まで、日の当たらないドサ回りの大衆演劇の世界で生きてきた男が、日本を代表する名優たちと伍してゴールデンのTVを飾る、そんな意気込みがヒシヒシと伝わって来るような凄みがあって、コレで初めて、梅沢富美男の名前が「役者」として人々に認知されたわけです。で、話はその「矢切の渡し」です。


東京都板橋区出身。3姉妹の末っ子として誕生し、芸事の好きな母の影響で4歳でタップダンスを習い、5歳の時日劇にて初舞台を踏む。 小学2年の時、神奈川県藤沢市辻堂へ転居。藤沢市立辻堂小学校を卒業。藤沢市立湘洋中学校へ進学。中学2年の時、大田区立大森第三中学校へ転校。中学3年の時、新宿区立大久保中学校(現在の新宿区立新宿中学校)へ再転校。

米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったり、演歌歌手としての修行をしたり、下積み時代の10代は芸名を変えながらいわゆるドサ回りで全国を回る。橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務める。実力のあったちあきはすでに一家にとって大黒柱的存在になっていた。

ちあきなおみという人も、メジャーデビュー以前の経歴が長い人です。長い下積みの末にメジャーデビューして、ポップスや演歌など、ジャンルを越えた活躍をしていたんだが、女優としても活躍。タンスにゴンのCMでは美川憲一と共演して、「もっと端っこ歩きなさいよ」というセリフで美川憲一の再ブレークのきっかけを作っている。「矢切の渡し」はもともと「酒場川」という曲のB面として作られた曲なんだが、特にヒットしたわけでも、話題になったわけでもなく、消えていたわけです。それが、梅沢富美男の踊りで一躍、蘇った。

折りしも当時は、競作ブーム。八代亜紀も北島三郎も高田みづえも内田あかりも北原ミレイ皆、何らかの競作に参加。 当然、「矢切の渡し」も競作に...。 有線を賑せているちあきバージョンは既に廃盤。 コロムビアは早速シングルを作成します(B面:別れの一本杉) が...。

当時「北酒場」でレコード大賞を受賞した細川たかしサイドが この曲に目をつけます。 細川もコロムビア、当然細川サイドがジャマなモノは、まずちあき盤ということになります。 ちあき本人も、当時はビクターで自分の好きなジャンルのファド・シャンソンのアルバムを作り、それ中心に歌っていた上 、どちらかといえば女優業としての活躍が多かったこと、演歌 のカテゴリー分けにトコトンウンザリになっていて、それも原因で干された関係上、コロムビアとの仲は最悪。 ...ということで見事廃盤に。
結果、細川サイドの大プッシュもあり、見事細川は、初のレコ大2年連続Vの栄誉+紅白大トリをゲットしました。 ただし、有線では圧倒的にちあき>細川という結果に。

作曲の船村徹もちあきバージョンを絶賛、細川はカラオケの歌い方という評価を下し、氏のウン周年番組ではちあきバージョンのVTRが流れるという現象まで起きています。

ここら辺の経緯については、おいらも以前書いたんだが、

演歌というのは、ビッグビジネスだ。どれくらいビッグビジネスかというと、例えばおいらが街角でストリート・ミュージシャンやってブルースを歌っていても誰も相手にしてくれないが、演歌を歌っていると、酔っ払いが缶ビール差し入れしてくれたり、ヤクザが様子をうかがいに来たりする。それくらいビッグビジネスなのだ。で、メディアはビジネスとして旨味のある細川たかしを持ち上げて、ちあきなおみの「矢切の渡し」はなかった事にされてしまう。TVで梅沢富美男が女装して踊るバックも、細川のレコードになった。資本の論理が名曲を殺したのだ。

ドラマのTBSの次の金曜ドラマは、あの有名な「金曜日の妻たちへ」というわけで、世の中はカネと不倫で踊るバブルの時代に突入する。ちあきなおみは亭主に死なれて気力をなくし、1992年、1953年から続けてきた40年の芸人生活に別れを告げる。以後、彼女は公式の場に姿をあらわさない。ただ、亭主の祥月命日に墓参に外出するだけだと言われている。「淋しいのはお前だけじゃない」という名作も、ドラマのTBSの最高傑作と呼ばれながら、なぜか、再放送もされない。

亭主が死んで、「オトンがいないと歌えない。アタシも一緒に燃やして」と棺にしがみつき、以後、まったく人前に出なくなったというちあきなおみなんだが、年々、その評価は高まるばかりで、また、時がたつにつれて、細川たかしの「矢切の渡し」は忘れられ、ちあきなおみの「矢切の渡し」が鮮烈にイメージに残る。ちなみに船村徹に言わせると、「細川たかしの舟にはエンジンがついて、びゅーって江戸川を渡るけど、ちあきなおみの舟は和船で、ギーコギーコと音がする」というんだが、そこまで作曲家に言わしめる「力」があった、という事だな。

コメント(7)

うちの近所に三吉演芸場ってのがありましてね。
歌丸さんの一門会もやっているところなんですが、
30年くらい前かなぁ?も少し前かもだけど
お袋に連れられてよく行きましたよ。
お袋が樋口次郎一座のファンらしくてw

狭いし汚いし煙草は煙いわ、嫌で嫌で。
何しろ十(とう)になるかならないかぐらいの餓鬼には意味が全くわからない(笑)

産湯から18で墨入れるまであたしは銭湯通いだったので
旅芸人の公演ポスターもよく見てました。歌丸さんと並んでね。
梅沢さんも舞台に上がったんじゃないかな。
子供ながらポスターの格の違いは分かった(笑)

また行く機会があるかしらねえ。

申し遅れました。
あたくし濱マーケット出身ですw

実家が北千住で、通っていた銭湯が芝居小屋(都内最後の?)に近かったので、終い湯の頃には白塗りにした一団がやってきたものだった。

多分あの中には梅沢氏もいたのかも知れない。

その後、受験勉強の傍ら聞いていたのが、西田敏行のパックインミュージック。梅沢氏も出ていたな。

結構投稿して読まれていたのは、いい思いです。

昭和は遠くになりにけりです。

>「オトンがいないと歌えない。アタシも一緒に燃やして」

アレは完全に弔問客へのパフォーマンス。
つまり芸人魂は消えていない。
彼女は絶対復帰するよ。
俺には判るんだ。

と 義理の兄宍戸錠。

ちあきなおみといえば、友川かずき作の「夜に急ぐ人」
を紅白で歌ったのが印象に残ってます。
あれ、子供が見たらひきつけ起こすぐらいの鬼気迫る歌唱でした。
友川のおどろおどろしい世界を完璧に体現してたと思います。
AKB480,000ぐらいに増えても、太刀打ち出来ないだろうな ωωωωω
人海戦術で、最新鋭兵器に竹槍で突っ込んでく見たいな ωωωωω


>「團十郎先生という父親がいて、松竹という会社に守られて、いいお客さんに恵まれて、こんな恵まれた環境で舞台に立てるのは世界中で1人だけ

シュリンピィーはその程度なんですね。

なぜか見てしまって引き込まれるように毎週見ました。
矢崎滋さんがなぜか印象に残ってます。
キャスト見たら錚々たるメンバーですよね。
いま、数字が取れないとか言ってるテレビ屋さんは少しこう云う物見たらいい。ちゃんと作らないから見ないんでしょって。
主題歌だった西田さんが歌った「淋しいのはお前だけじゃない」も好きです。

コメントする

欧米人の見た幕末日本
千代姫モールえすの屋店
空気清浄機情報
ポルノ雑誌の昭和史 (ちくま新書)

最近のコメント


ネットゲリラの夏祭り

ルンミーブルースバンド

チョトマテクダサイ
戦場のテディベア
on the road
追悼・宇佐英雄/柳ケ瀬ブルース

アーカイブ

  通販専用水着屋さん

帆船Ami号

ずっと富士山