三島大明神のスキャンダル

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初出/2007-10-07

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文中に「スカンジナビア跡地」の話が出て来るんだが、結局、函南のトマト長者が買って、別荘を建ててます。2000万超えのベンツのスポーツに乗ってる爺さんです。トマトは儲かるらしい。縄文遺跡のある山側には手を付けてないので、開発がカンタンだったようだ。ところで、柳田國男の著作権が切れたそうで、「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」という、あの名文がネットで読めます。「海上の道」も遠からず公開されるだろう。遠野物語は文体が古くて読みにくいが、海上の道は平易なので、全ての日本人が必読の書だと思う。日本人のルーツが椰子の実だったという、驚愕の書です。


日本人はどこから来たか、という話は延々と論争が続いているんだが、何も、難しく考えなくても結論は出ているわけだ。地中から湧いて出てくるわけもないし、空から降って来るわけもないので、海を渡って来たに決まっている。

で、かつてスカンジナビア号があった木負という土地なんだが、内緒なんだが、東京の船会社が跡地を買い取ったそうだ。巨大なマリーナを建設するんだそうで、伊豆箱根鉄道が持っていた土地なんだが、約7000坪ほどある。ところが、なかなか開発が厄介なんだが、知ってるのかな? あすこは縄文時代の遺跡があるところで、掘るとボコボコ土器や貝塚が出てくるらしい。で、木負から沼津方面にちょっと戻って、蜜柑倉庫の脇から山に入って行くと、田方平野の大仁に出る。その道の途中に雄飛滝というのがあるんだが、そこにも縄文時代の遺跡があるそうだ。

現代人は、海を渡るには大きな船が必要だろうと考えるんだが、実はそうでもない。大きな船が必要なのはエンジンなんか積むからで、エンジンは燃料がないと動かないので、船も大きくなる。個人所有で日本でもっとも大きなクルーザーは、加山雄三の光進丸なのかも知れないが、アレ、いつも伊豆の安良里港に停泊しているわけだ。ずいぷん大きくて100屯くらいありそうだが、アレでグアム島まで行くとなったら大冒険。太平洋横断なんて考えられない。というのも、太平洋をエンジンで渡るには、途方もない量の燃料が必要なのだ。ところが、昔の船はエンジンがないので、小さくても遠くまで行ける。アウトリガーのカヌーに帆を張れば、どこに行くにも楽ちんだ。嵐が怖いのだったら、岸沿いにノロノロ走って、天気が悪くなったら港に入ればいい。遣唐使船なんぞはよく遭難しているんだが、アレは船が大きすぎてかえって不安定だったそうだ。むしろ北九州や対馬あたりの漁民の小さな船の方が、朝鮮半島に楽々、渡っていたという説もある。

日本の古代史における海運というのはまだまだ研究が進んでないんだが、日本海を中心に次第に解明されつつある。で、文献が残されてないんだが、もちろん太平洋側にも海運はあったらしい。

 日本海航路は文献などでも見られるが、太平洋航路の利用の証拠は少ない。しかし伊豆地方などには京でつくられたと見られる平安仏が多数見うけられ、中には沖で難破した船から漂着したとの伝承を持つものもある。また、法住寺での狼藉の咎で伊豆に流された文覚上人は、ちょうど伊豆から船で年貢を鳥羽まで運んできた伊豆国府の在庁官人の戻り舟に同乗して伊豆に至ったと伝えられている。これらのことから、太平洋航路も平安時代後期には頻繁に利用されていたと推定される。

伊豆半島は古くから海産物を都に献上していた。乾しアワビとか乾しガツオなんぞ送っていたようだが、田子とか戸田みたいな陸の孤島みたいな土地から陸路で運んでいたとも思えないので、当然、船で運んでいたのだろう。風向きの良いうららかな午後に、西伊豆をヨットでフワフワと漂っていると、そうした古代人の旅というのが実感できるような気がする。

で、三島大社だ。ここはネットゲリラなので、らしく、スキャンダルなど取りあげてみよう。三島大社の神様にはおメカケさんが沢山、という話で。

 伊豆の三島神社は、最古のものは三宅島にまつられたといふ。伊予の三島明神の分れとされるが、伊豆諸島では三島の神は事代主(ことしろぬし)神とされることが多い。火山列島の伊豆諸島に住む人々は、御神火を恐れて暮らしてはきたが、事代主神が火山の噴火のたびに島を広げてくださるといふ信仰があるといふ。

 三島明神の主な后神は次の島にまつられてゐる。
  波布比売(はぶ大后)  波布比売命神社 大島
  伊賀牟比売(伊古奈比売)  后神社   三宅島伊賀谷
  佐岐多麻比売  御笏神社  三宅島神着
  久爾都比売(泊御途口大后明神)  泊神社   新島
  阿波売命(三島神社の本后)  阿波命神社   神津島

伝承によれば、三島明神は三宅島から伊豆の白浜に上陸したと言われているんだが、何の事はない、三宅島に女が二人、そこから神津島に渡ってそこでも女を作り、さらに新島でも女を作り、大島でも女を作り、そこから対岸の白浜に渡って来たという事になる。港々に女あり。なるほど。

ところで、最近、箱根外輪山が活発に地震を起こしているという話があるわけだ。凄いね、いきなり話が歴史から地質学に移るんだもの。さあ、みんな脳味噌を理系に切り替えてくれ。で、伊豆半島というのはフィリピン海プレートに乗っかっているわけで、それが本土に衝突してズリズリと押しあげているわけだ。で、辛抱タマランと持ちあがってしまったのが富士山なんだが、このあたりの火山活動というのは、南側から順番に北上してくる、という特徴がある。そういえば、三宅島が噴火して、大島が噴火して、そう来たら次は箱根だよね。で、箱根の次は富士山。有史以来、富士箱根火山帯は何度もそれを繰り返している。

で、ここからはおいらの勝手な推測なんだが、どこかから黒潮に乗ってやってきた連中がいるわけだ。あるいはペルシャ系難民かも知れないし、ユダヤの失われた氏族かも知れない。で、ソイツらが三宅島に上陸する。やれやれ、ココが安住の地だ、とひと息ついたのも束の間、三宅島大噴火、あわてて隣の神津島に逃げるんだが、今度は神津島が噴火、・・・というようなわけで、北上するたびに大噴火に遭遇するわけだな。奇しくも、富士箱根火山帯の活動パターンと北上が一致してしまうわけだ。そこで、逃げる渡来民には、火を恐れ、火をカミとして崇拝する信仰が生まれる。で、伊豆山神社(日金山)の祭神は火の神である火牟須比命(ほむすびのみこと)だし、箱根神社の祭神のひと柱は彦火火出見尊であり、これは「コノハナノサクヤビメが火中で生んだ三神の末子で、火が消えた時に生まれたのでホオリ(ホヲリ)と名附けた」という神だ。伊豆という土地は、気候も温暖で過ごしやすいんだが、地震が多くてたまに噴火騒動があるのが玉に瑕なんだが、まぁ、古代人もそんな気持ちを火の神信仰によって紛らわしたのだろう。で、三島大社なんだが、ここは何故か、火の神ではない。

大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえ ことしろぬしのかみ)、御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。

大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます

三島大社の祭神については江戸時代から平田篤胤による指摘があって変更される、などの経緯があったようなんだが、とりあえず現在では上記のようになっている。で、神社の縁起については

創建に関しては極めて古く不明であるが、三宅島(現 富賀神社)→下田・白浜海岸(現 伊古奈比咩命神社)→大仁町(現 広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承がある。他に、伊予国大三島の大山祇神社からの分社との説もある。

延喜式神名帳には「伊豆国賀茂郡 伊豆三島神社」として記載されている。延喜式が書かれた平安時代初期には賀茂郡の下田・白浜海岸に正妃・伊古奈比咩命を祀る神社と並んで建っていた。白浜海岸には現在、伊古奈比咩命を主祭神とする伊古奈比咩命神社がある。

現在の三嶋大社は、平安中期以降に田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものであるとされる。

というわけで、白浜の伊古奈比咩命神社との関係がはっきりしているんだが、その伊古奈比咩命神社の祭神はというと、「伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)、その夫である三嶋大明神(みしまだいみょうじん、三島大明神や三嶋明神などとも書く)、および夫の随神である見目(みめ、女神と言われる)、若宮(わかみや)、剣之御子(つるぎのみこ)の五柱」という事になっているわけだ。で、三嶋大明神が各島に后や子を置き、各島と当地を廻りながら末永く暮らしたとする伝承があるのだそうで、ここでやっぱり、港々に女あり、という話になる。どうも、正史と伝承との乖離が見られるんだが、古い事なのでどれが正しいとも言えないわけだ。で、

西暦645年、大化の改新によって天皇を中心とした新しい国づくりが始まり、701年大宝律令の制定によって中央集権的な国家ができあがりました。
680年、伊豆は験河国から分かれて独立しました。国の中心であるいまの県庁にあたる、国府の位置については明らかではありませんが、平成元年に三嶋大社の境内から発掘された掘立柱の建物跡が注目されました。
そこは三島の中心で、田方郡内であり、中世の文献に記されているように三嶋大社の近くです。そこで「静岡県史」ではこの遺跡を伊豆国府跡の一部と推定しています。

最近の発掘調査では、長く所在不明だった伊豆の国府が、実は三島大社の境内にあったのではないか、という跡が出てきている。そもそも、今の三島大社はもともとあった若宮八幡社を乗っ取るようにして平安時代にやってきたという話もあるので、どうもそこら辺が臭うような気がするんだが、結論はまた続きで書きます。

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新年あけましておめでとうございます。
興味深いエントリーに早速ポチらせていただきました。
(マーケットプレイスですみません(((^^;)

民俗学系のシリーズ、グルメとあわせていつも楽しみにしてます。
今年もよろしくお願いします。

新年おめでとうございます。

日本の礎を築いた人たちがどこから来たのか、たいへん興味深いテーマですね。

野次馬流考古学、本年も楽しみに閲覧させていただきます。

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