三島はあちこちにある

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初出/2007-10-04


海と列島の中世 (講談社学術文庫)
価格:¥ 1,208(税込)
発売日:2003-04

三島という土地について話をしようと思うんだが、実は三島という地名はあちこちにあるわけだ。市町村合併で消えてしまったのもあるが、Wikipediaによればこんな具合。この中で鹿児島の三島村は南西諸島の竹島(面積4.20km2 周囲9.7km 人口112人)硫黄島(面積11.65km2 周囲14.5km 人口142人)黒島(面積15.37km2 周囲15.2km 人口215人)の三つの島の総称なので別として、他の三島に関しては名称の由来が不明だ。

単純に考えれば、「島」というからには海に浮かぶ島が関係しているのだろうと思うんだが、伊予三島以外は「実は海に面していない」のが謎だ。伊豆の三島も、もちろん海に面してないんだが、よく勘違いされるんだよね。地名が地名なんで。で、たまたま読んでいた本に、その問題を解決するヒントが出ていたので紹介してみる。海と列島の中世という、講談社学術文庫なんだが、

海は柔らかい交通路である。それは自在な交通を許し、人と人を結び、文化同士を融合させる。本書では全国の中世海村・海民の姿が、綿密な現地調査と文献から浮き彫りにされてゆく。中国大陸・朝鮮半島・日本列島をまたにかけた「倭寇世界人」を生み出した海のダイナミズムを探り、東アジアに開かれた列島社会の新鮮な姿を描き出す、網野史学の論集。

というような内容だ。で、この本には、南蛮人が種子島に渡来する以前に、すでに日本に梅毒と煙管が持ち込まれていた証拠がある、とか、鎖国していたはずの江戸時代にはるか中国やオーストラリアにまで足跡を残した江戸時代の漁民がいたとか、歴史書に出て来ない庶民の文化史が出ているわけなんだが、ここで取りあげられているのが、伊豆の三島と、大阪や伊予の三島が関係している、という説だ。

 ともかく『豫章記』の記事は下賀茂社供祭人と、三島とが深い関係にあったことを物語っています。摂津の三島社も鴨・賀茂と関係があるようですから、これは決して無理な推定ではないと思います。そしてそこからも、三島社と海、さらには河野氏と海との関係を考えていくことができると思うのです。実際、下鴨社の御厨は、海が中心になっており、伊予の内海はすべて鴨社供祭人の活動できる舞台でした。宇和島の六帖網もその神領でした。
    (中略)
 しかも、鴨社供祭人は、海上交通にも大きな役割を果たしていました。平安時代の末には早くも、瀬戸内海から北陸、あるいは九州に行く「廻船」が活動していますが、供祭人は漁労だけではなく、このような廻船人としても大きな役割を果たしていたと思われます。

コレでちょっとピンと来るモノがあったわけだ。で、Yahooの地図を見て貰うと分かるんだが、町の中に三嶋大社という大きな神社があって、その東側に加茂川町というのがあるわけだ。で、その隣にはご丁寧に祇園原というのもある。で、三島という土地には、古くから三島大社というのがあるんだが、伊豆国分寺というのもあった。今では礎石しか残ってないんだが、おいらの家のすぐ近所だ。で、国分寺というのは各地方の支配権を確立するために奈良時代に作られたシステムなんだが、三島には国分寺、国分尼寺が置かれ、国府も置かれていた。それだけじゃない、祇園とか、賀茂とか、都に由来する地名が残っているわけでね。昔の神社というのは一種の情報や流通のネットワークを形成していたわけで、三島神社というのもまた、一種のチェーン店みたいなものだったのではないか、というわけだ。

で、こうした神社に属する人間というのがいて、彼らは世俗の領主の支配を受けない。何故なら、神社という権威の庇護下にある存在なので、農民を支配するために作られた日本の政治制度のもとには居ないわけだ。

 供祭人は、神社に所属する神人(じにん)の一種で、供菜人とも書き、ことに供祭物(供菜物)を奉献する者をいい、菜の中心は真菜(魚類)であった。 このため中世においては、供祭人は通常漁民の身分呼称となり、宮廷の供御人と並ぶ位置を占めた。 彼らは中央の諸大社や、地方の一ノ宮社などの有力神社に属し、諸国の漁場開拓、海産物の輸送、販売などに活躍したという。 とくに有名なのは、賀茂社供祭人で、津々浦々の「魚付きの要所」(漁場)に自由居住し、「櫓棹杵」の通う限りの浜に、同社、末社を勧請して供祭所(御厨)とする特権を主張した。
  諸社の伝説によれば、神人漁民にとっては、漁場に魚が回遊してくること自体が、「神の幸」と観念されており、彼らの宗教的特権は、中世に頻々と発布された「殺生禁断令」においてもその例外として、容認されたほどの強さを有していた。

ところで、農民を支配するための政治システムから外れた神人(じにん)のネットワークの拠点が各地に存在する「三島」だというのは理解できるんだが、何故、漁民のネットワークが内陸部に存在するのか、という疑問が湧いてくるんだが、それについては次のエントリで。

コメント(10)

三島に参ると、三参島(スリーマイル島)w

 中沢新一氏と網野さんとは遠い親戚かなにかでしたっけ。一億総アースダイバー化すればもう少し面白い世の中になると思います。

鹿児島の方の三島ですが、年末に旅行で出かけた時に
道路にテーブルを並べた島民の忘年会をしておりまして、
飛び込みで参加させていただいたことがあります。
釣れたての魚をいただいたのですが、あちらは刺身を
味噌で食べる習慣がありまして、これが白身の
あっさりした魚とあっていて非常に美味でした。
三島つながりと言うことで、ぜひお試しあれ。

竹島も硫黄島もあちこちなのね。

陸地の三島という地名は、三つの国と接する国境、交通に要所に付けられることが多かったとどこかで見た記憶が。
峠で言うなら各地にある三国峠みたいなものとか・・
記憶が曖昧でソースも見つからないのですいません。

江戸時代の古地図だと海や川に面してたとかどうでしょう。

江戸時代どころか、平安時代から内陸です。

浜松市三島町も忘れないでくだしあ…ωωω
野次馬大兄、県西部に冷たいんぢゃないかぃ…ωωω

ここには浜松神社といのがありまして、「康正元年【注西暦1455
年】、開郷の際伊豆の国三島大明神より、産土神として御分霊を勤請
し三島大明神と称したれど、社名は別宮は相成らずとの事にて浜松大
明神と改称し明治元年維新の際大明神の御神号を廃して以来浜松神社
と称す。」だそうですから、室町時代中期ということで、めっちゃ古
いものではないですね。分祀はいいけど、名称は使っちゃ駄目とか、
ワケ判らんでつね…ωωω
因みに括弧内は、
ttp://blog.goo.ne.jp/amamiyatomohiko/e/2751f31555c2091c0b1c1df1bd8a54c8
から引用させて貰いました、悪しからず。

西部は行ったこともないし、よく知らないです。
浜松神社というのも初めて聞いた。

レス有難うございます。
とても地味ーーーなところです。
からんじゃって、済みませんでした。

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