ジャパニーズ演歌ドリーム

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ジャパニーズ演歌ドリームという話です。
ぴんからトリオは、3人組のお笑いだった。自費で300枚レコードをプレスしたら飲み屋から有線で火が点いて、2年間売れ続けて最終的に400万枚売れた。日本で売れたレコードで、「およげ!たいやきくん」に次いで二番目だ。そういうジャパニーズ演歌ドリームが、あのころはあったんだな。
Twitterでいしかわじゅん氏がそう書いていたんだが、さすがにおいらの2年先輩なので、古い話をよく知ってますw 

演芸場などでよくあるんだが、「ボーイズ」という芸があり、何人かで楽器を持って出てきて、にぎやかに歌ったり、しゃべったりするわけです。ぴんからトリオは、そのボーイズ芸人だった。Wikipediaによると、

本名は宮崎芳郎。兵庫県加西市広原町生まれ。

姫路市のキャバレーで働きながら1959年、自主制作で「男の花道」を発売。

1961年、拠点を大阪に移し、当時流行していたボーイズ形態の音曲漫才(メンバーが何かしらの楽器を演奏しながらその時期の流行歌の替え歌を交えて進行する演芸の一種で、大阪では浪曲師、東京ではバンドマンからの移行が多かったが、その後、大阪からは廃れてしまった演芸形態)スパローボーイズを結成。

1963年、宮五郎(宮史郎の兄、1936年4月29日 - 1994年8月12日)・並木ひろし(1942年2月14日 - 1998年11月13日)と共に音曲漫才ぴんからトリオを結成。グループ名の由来は「ピンからトリを」からである。

1972年、東宝芸能所有の大阪梅田の演芸場『トップホットシアター』に出演していた時期に自主制作したレコード「女のみち」が、有線放送と地道な営業から火が付き325万枚を売り上げ、続いて発売された「女のねがい」「女のゆめ」もミリオンセラーの大ヒット。
日本で一番売れたのは「およげ!たいやきくん」なんだが、この曲は二番目です。まさに、ジャパニーズ演歌ドリームそのもので、宮史郎の最初の自主制作レコードが1959年なので、それから数えても13年かかっている。まぁ、アレだ、諦めない事が、成功への唯一の途です。



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実は、日本の演歌界には、こういうジャパニーズ演歌ドリームみたいなのが多いんですね。底辺が広いので、こういうのが出て来る。ぴんからトリオというと、並び称せられるのが殿さまキングスなんだが、

前身は1960年6月に結成のファンキーガイズというボーイズ物であった。結成時のメンバーは5人でのちに4人となった、メンバーはリーダー長田あつし、宮路おさむ、尾田まもる、戸沢清の4人であった。

大ヒット曲「なみだの操」の影響で、歌謡曲が主流になったが、元々はコミックバンドとしてお笑い番組に多数出演していた。ちなみに「殿さま」という名前は「キング」を日本風に言い換えようとして思いついたという。

1967年に結成。『大正テレビ寄席』などバラエティ番組に多数出演していた。その後、歌謡曲を歌うバンドに転身、1973年にリリースした「なみだの操」は300万枚近い爆発的なヒットとなった。1975年にリリースした「夫婦鏡」もミリオンセラーになった。
こちらも「ボーイズ」出身です。この殿さまキングスは、昭和天皇の病状悪化を受けた自粛ムードで仕事がなくなって解散したが、リーダーの長田あつしは「オヨネーズ」を結成して「麦畑」でヒットを飛ばす。もともと芸人としても売れていたグループなので、TVで見る機会も多かったですね。





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さて、こちらはちょっと雰囲気変わって、竜鉄也「奥飛騨慕情」です。高山で演歌師をやっていた人で、「奥飛騨慕情」が大ヒットして世に知られるようになる。

3歳の頃に岐阜県吉城郡上宝村(現在の高山市)に引越し、中学2年生の頃に失明する。その後手術を受け、視力回復に務める傍ら、マッサージの勉強をする。

1961年2月、満25歳で再び失明。その頃より音楽の勉強を始め、演歌師として出発する。以後岐阜県の奥飛騨・高山地方を中心に演歌師を続ける傍ら、作詞・作曲も手がける。

1980年、「奥飛騨慕情」(トリオレコード)でデビューし、1981年には第32回NHK紅白歌合戦に出場。
2010年に亡くなっているんだが、子供たちが歌手で、一座を組んで、今でも高山あたりで活動しているらしい。







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さて、ちょっと雰囲気変わって、大泉逸郎です。有名なんだが、この人、本業はサクランボ農家だというんだが、

本業はサクランボ農家の経営者。現在も山形県河北町でサクランボを収穫している。

アマチュア民謡歌手として、1977年に東北・北海道民謡大賞を受賞したのをきっかけに、本格的に活動開始。初舞台は山形刑務所であった。

1994年、自らの初孫が誕生し、あまりの可愛さに、生後3日目に友人の荒木良治に作詞を依頼し、自らが作曲を担当。こうしてできたメジャーデビュー曲の「孫」は240万枚以上[1]の売り上げを記録する大ヒットとなる。NHK紅白歌合戦にも出場。その後も「孫びいき」「親ごころ」とスマッシュヒットを連発。コンスタントな活躍で演歌界に定着している。
元は民謡歌手です。演歌歌手というのは、民謡とか、浪花節から食うために転業した人が多い。この曲も、最初は自主制作です。

1994年に自主制作盤として発表。
1998年、第1回みちのく歌謡文化連盟推薦歌となる。
1999年4月21日、テイチクからメジャー発売。初回出荷枚数は651枚であった[2]。
オリコン演歌チャートで1999年11月29日~2000年5月22日まで26週連続1位。総合チャートでも最高3位になった。





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ところで、ジャパニーズ演歌ドリームの体現者代表みたいな人が、おいらのウチの近所に住んでいたんだが、「柳ヶ瀬ブルース」の作詞作曲をした宇佐英雄さんです。ヒットしたのは美川憲一の歌によって、だが、実は、この曲も最初は自主制作です。レコードではない。ソノシートです。ソノシートというのは、ビニールの薄っぺらなモノで、音はあまり良くないんだが、安く作れるので、雑誌の付録などにも使われた。宇佐さんは、元は北海道の出身なんだが、伊豆長岡で流しをやっていた。柳ヶ瀬ブルースも、元は「伊豆長岡ブルース」だったらしい。沖縄から巡業にやって来た踊り子をしのんで作った曲だという。レコード会社で美川憲一の担当をやっていた人の耳に、柳ヶ瀬の有線限定でちょっとばかりヒットしていたこの曲が耳に止まり、メジャーに採用される。以後、「釧路の夜」というのもちょっと流行ったりするんだが、宇佐さんはそれだけの印税で、死ぬまで毎月30万くらい貰っていたそうです。





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さて、雰囲気変わって、台湾です。金門王という人です。流し出身です。

金門王(きんもんおう、1953年-2002年5月5日、本名は王英坦)は、中華民国の金門島出身、台湾の盲人歌手で、台北市の北投一帯で流し(那?西)を、李炳輝とともに行っていた。ヒット作に「流浪到淡水」がある。

12歳の時(西暦1965年)、王英坦は金鼎国民小学に通っていた小学生だったが、拾った雷管が破裂し左手が吹き飛ばされ、片目も失明した。その後台湾本島に移り、台北市において生活のために多くの職業を転々とした。
この曲は日本のビール会社のCMにも使われた大ヒット曲です。





かつて、歌は、街にあった。人とともに生まれ、人とともに育ち、人の泣き笑いとともにあった。そんな、無名のミュージシャンたちの、ごく一部の恵まれた人にだけ、気まぐれなミューズの女神が微笑んでくれた贈り物。それが、こうしたヒット曲だと思う。

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アリスの演歌歌ってる人?www

先の更新にあった宇多田ヒカルが全ての日本のCDレコードの販売枚数をアルバムで塗り替えてしまいました。版権も父ちゃん母ちゃんの「会社」です。藤圭子が札束詰め込んだトランクをラスベガスに博打目的に持ち込もうとして黒社会のマネロンと疑われて空港で逮捕されたのはいい思い出。
まあカラオケ収入は演歌のが後後までコツコツと回収できて美味しいわけですが

宇多田って、100億稼いだんで、もう一生、働かなくていいんだよね。

小学生の時、どんだけ「女の操」でからかわれたか。
思い出してしもたがな。ちなみに「操」はウチの本名。

小学校低学年で、
   おんな~のぅ~みぃさぁおぅ~~♪
って歌ってたら、
   『子供が歌うもんじゃない。』
って、先生に言われたなぁ~。

>どんだけ「女の操」でからかわれたか。

吉川君じゃないの?ww

>吉川君じゃないの?ww

それもある。ホットケ

むか~し昔のお話ですが、中学生の頃『4枚たった200円』というマンガ雑誌広告のキャッチコピーに惹かれ、全てオリジナルだと思って買ったソノシートが全く知らないバンドの演奏でガッカリしたのは懐かしい思い出♪

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