ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース

| コメント(13)
むかし、横浜球場の裏手にデリカとか称したレストランがあった。地下に降りる階段の壁には、歴代大リーガーの名選手の写真が飾られ、色気の抜けきらない口達者なオバチャンが出迎えてくれる。出てくる食事は、米軍のレーションじみたテイストレスなアメリカの飯で、奥で調理しているのは白人の爺さん。あとで知ったのだが、その爺さん、元大リーガーの野球選手で、来日した時に、このオバチャンに捕まって、以来、日本に定住するようになったらしい。それでも野球が忘れられずに、横浜球場の裏で店をやっていたというわけです。おいら、その店で、藤竜也が女子大生を口説いてるのを目撃した事がある。その頃の藤竜也は、日本初の本番ハードコア俳優として有名だったなw そして、その藤竜也が「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」を作詞したのも、その頃です。



作曲は、ゴールデンカップスのエディ藩。本名は潘廣源といって、中華街の料理屋の息子です。ゴールデンカップス当時は「ハーフ」とか言っていたんだが、中国人です。まぁ、日本生まれの日本育ちの華人なんだが。ヨコハマ・ホンキートンク・ブルースは色んな人が唄っているんだが、松田優作が記憶に残ってますね。おいらの知人は松田優作が売り出す前に友だちだったそうで、「オーディションに行くからカネ貸して」と言われて貸したら、そのオーディションで大役を仕留め、そのまま有名になってしまい、その後は会う機会がなくて、返して貰えなかった、と言ってましたw ちなみに松田優作は在日です。



ところで、ゴールデンカップスはグループサウンズの中では屈指の実力派バンドで、ブルースばかり集めたアルバムも、あの当時、出してます。レイニーウッドの柳ジョージもこのバンドの出身。





俳優の原田芳雄も、ブルース歌手として有名だった。ここでは元キャロルの内海さんと演ってます。キャロルも横浜出身のバンドだったが、内海さんは解散後は地道にブルースとか演ってますね。ブルースというと、どうしても関西が有名なんだが、横浜というのも、実はもう一つのブルース・シティです。

コメント(13)

ネット初期に大島渚?の海外版「阿部定」で
藤竜也のアレを見たことあります
演技は微妙

オリジナルジョーズも東京ジョーズも閉店してしまいましたね

うーーーむ
野次馬さんがドルフィンの窓越しにソーダ水を片手にかざして貨物船を眺める姿を想像した!

うそうそBGMがユーミンなんて!

世界一似合わない!!!

藤起つ也とガチ本番した松田英子も元々寺山の天井桟敷に居たと聞きましたよ。
今どうしてるンでしょうね。
渚チャンのXデー
松田英子の弔問をマスコミは狙うでしょうね。

エロ本や初期AVの源流辿ると 寺山の天井桟敷がチラつきますねえ。
野次馬さんの本でその辺の因果がスッキリしましたワ。

宇崎さんも歌ってなかった?

懐かしい。その近くの、マークスラインビルの、
地下の、喫茶店で、バイトしてました。
その時に、デリカが、開店して、何度か行きましたが、
美味しくなかった記憶が。

「藤竜也 矢豆小」でググると……

ドルフィンを作ったのは、少年ケニアという絵物語で一世を風靡した山川惣治。豆知識w

>宇崎さんも歌ってなかった?

宇崎竜童もだが、山崎ハコも歌っている。
この曲、ずいぶんたくさんの人にカバーされています。

この曲が入ったアルバム持ってるヨン。
「広島シージャック」を題材にした曲とか、「男と女の数え歌」だとか・・・。
何処にあるかがわからない~www
聴きたいんだけど。

オレッちもライブ版のLPレコード持ってる。
ひん曲がってしまったやつ。


松田優作 / Yokohama Honky tonk Bluse
ちょっとスペル違うんじゃない      ↑↑

メリーさんの海を見ていた12月の午後に包まれたならルージュ

GSの中では、ハプニングス・フォーとモップスがオラは好きでした♪

コメントする

欧米人の見た幕末日本
千代姫モールえすの屋店
空気清浄機情報
ポルノ雑誌の昭和史 (ちくま新書)

最近のコメント


ネットゲリラの夏祭り

ルンミーブルースバンド

チョトマテクダサイ
戦場のテディベア
on the road
追悼・宇佐英雄/柳ケ瀬ブルース

アーカイブ

  通販専用水着屋さん

帆船Ami号

ずっと富士山