柳ケ瀬ブルースの作者が亡くなった

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img_384624_4088545_0.jpg柳ケ瀬ブルースの作者、宇佐英雄さんが亡くなった。
生前、何度かお目にかかった事がある。宇佐さんは破れ傘という名の、この食堂に毎晩通っていて、それを知ったおいらが待ち伏せして強引に知り合いになったのだ。
宇佐英雄さんは、もとは北海道の出身なんだが、若くして伊豆長岡に出て来て、レジャーランド専属の「流し」になり、観光客の前で歌を歌いながら自分の曲を作っていた。流しというのは、よその土地に行っても、三日間だけはヤクザに挨拶しなくても営業できるのだそうで、たまたま柳ケ瀬に行った時に、自作の「伊豆長岡ブルース」を歌ったところ、偶然、居合わせていたレコード会社のディレクターがそれを耳にして、「今度の美川の曲にどうだろうか」というので採用されたそうです。元は伊豆長岡ブルースだったのが「柳ケ瀬ブルース」になったのには、そんな経緯がある。


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破れ傘のカウンターには、いつもの席にいつものように小さな膳が用意されていた。亡くなったのは金曜か土曜らしいが、発見されのは月曜日です。待ち合わせに来なかったというので、月曜になって様子を見に行った人が発見したそうです。
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興が乗ると店においてあるこのギターを弾く事もあったそうで、ただ、最近は身体の具合もあまり良くなくて、このギターも「四ヶ月ほど弾いてない」という事だった。急を知って北海道から駆けつけた奥さんと娘さんなど親族が店にいたのだが、さすがにちょっとアレなんで、親族が帰ったところを見計らってギターを弾かせて貰いました。柳ケ瀬ブルースを故人に献じて来ました。店のおばさんが涙を浮かべて「ありがとう」と言ってくれました。「みなさんのいらっしゃるところで歌っていただきたかった」とも言われたんだが、さすがにあまり練習してない曲を、弾きなれないクラシックギターでやるのは遠慮します。
柳ケ瀬ブルースのヒット後、何曲かメジャーに曲を提供したものの、「作詞も作曲も自分でやる」というスタイルはこの時期、まだ多くなくて、あまり受け入れられなかったようです。それでも、柳ケ瀬ブルースがあれだけヒットしたので、毎月20万くらいは入ってきて、生活には困らなかったようだ。奥さんや娘さんを北海道に残して単身、三島で暮らしていたのは、「気楽だから」という事で、毎晩10時半になると、この店で静かにビールを飲んでいた。「僕はビールしか飲まないから。強い酒を飲む人はみんな、死んでしまった」流しをやっていた人が、みんな酒の飲み過ぎで身体を壊して死んだという話が出た時には、そう言っていた。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
 
初出/3/15

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コメント(1)

そうでしたか?
宇佐先生お亡くなりになったのですか?
靜岡の方でお暮らしと風のたよりで聞いていたのですが
昔何度か岩見沢でお会いして歌も聞いていただきました。
柳ケ瀬ブル―スの経緯このブログで初めて知りました。
先生は歌のことについては指導してくれませんでしたが
美川さんの「ものまね」などユニークに教えてくれました。
先生が奥様の作詞家雨宮英子さんのクラブに戻ってきたとき
会いにいくといつも岩見沢市内のパチンコ屋を探すとパチンコを
打っていました。ご冥福をお祈りいたします・
なお、よければトラックバックさせていただきます。
北海道在住 演歌歌手 北朝日旭

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